spatium artis ( 2015.1.8 updated )
De val van Icarus
  イカロスの墜落のある風景
c. 1555
Oil on canvas,
mounted on wood,
73,5 x 112 cm
Museos Royaux
des Beaux-Arts,
Brussels

【部分図。クリックにて拡大】

■梗概

 1555年頃制作されたと思われるこの作品だが、現在残っているものは1600年頃に制作された模写。オウィディウス『変身物語』に範を得た作品で、元々のイカロス物語の概略は次のとおりである。
 クレタ島に幽閉されていた腕利きの発明家であるダイダロスとその息子イカロスだったが、蝋で鳥の羽を作成することによりクレタ島脱出を試みる。錬成の士であるダイダロスは息子に対し、蝋で出来ている羽なので太陽に近づき過ぎないように警告し親子揃って島から飛び立つが、若者の常で飛ぶのが楽しくなってしまい、勇躍上昇しすぎたために蝋の羽が溶け出し、哀れ海に落下して死んでしまう、そのような物語である。その物語をブリューゲルは丁寧に、かつ完全に彼流に換骨奪胎して描いている。
 オウィディウスの物語中には驚く傍観者としての農民も登場するが、この絵画で出てきている農民はイカロスの墜落には目もくれていない。ブリューゲル流「イカロスは墜ちる、されどキャラバンは進む」である。この絵画の世界の何処かで父ダイダロスは悲憤慷慨しているのでは、あろうが、彼ら親子の悲劇を一片の藻屑のようにして、何事もなかったかのように世界はいつもの生活を続ける。まさに「イカロスの墜落」ではなく、イカロスの墜落のある「風景」である。その放ったらかしっぷりは、ヴェルディのオペラ《リゴレット》のラストシーンに触れるときの感慨にも相似ている。
 なお、『アートライブラリー:ブリューゲル』を書いたキース・ロバーツによると、フランドル地方の諺に「人間は死んでも鍬は休まない」というものがあるそうな。恐らく、人は死んでも世界はいつものように動くという意味だと思うが、まさにその諺通りの作品である。

 作品自体の構図としては、水平線を深めにとったブリューゲルらしいワイドな風景画だが、本来何かあるべき絵の真ん中には太陽が反射しているただの海以外何もないのがまたシニカルで非常に面白い。


画面の片隅に着水しているイカロス。恐らく水面下では命をかけたあがきが繰り広げられているだろうが、その下に見える釣り人にも全く気づかれていない。しかし往々にして世界はそういうものである。
ここに描かれている鳥(シャコ)も『変身物語』に出てくる。このシャコ、前世はダイダロスの甥だったが、その才能をダイダロスが嫉み、アテナと共謀したダイダロスに墜落させられシャコに変えられた。そしてそのシャコが今、ダイダロスの子イカロスが溺れているのを冷然と見ている。ぱっと見たんなる鳥だが、ここにはとんでもない物語が潜んでいる。
なお、シャコ、我々には余り馴染みがないが、想像するときはだいたい少し派手なウズラを思い浮かべれば当たらずといえども遠からずである。
夢想にふける羊飼いも、自分の仕事に集中している農民も、もちろんイカロスが墜ちたことには全く気づいていない。聴覚が鋭敏なはずの犬も全く気づいていない。

馬が引く鋤が出ているというのは、やはり梗概で記載した「人は死んでも鍬は休まない」という諺をブリューゲルが意識していると考えて間違いないだろう。
画面中央左に浮かぶ島。
構図的にはやや不自然な場所および遠近だが、これはクレタ島を暗示しているといわれる。つまりダイダロスとイカロスはここから飛び立ち、右下のところに墜ちたというわけである。

画面右に見える帆船の大きさから換算して、恐らくイカロスはクレタ島からまだ1kmも飛んでないであろう、青春の愚かさも如何ばかりかというところである。
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