spatium artis ( 2015.1.22 updated )
Bacco e Arianna
  バッカスとアリアドネ
1520-22
Oil on canvas
National Gallery,
London

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■梗概

 フェラーラ国王アルフォンソ・デステの注文により作成された三部作のひとつ。ティツィアーノ青年期の代表作のひとつである。

 バッカスとはいうまでもなく酒神。いっぽうアリアドネはクレタのミノス王の娘。英雄テセウスと協力して怪物ミノタウロスを退治し、二人してナクソス島に向かった。もっと厳密にいえば、テセウスがミノタウロスの根城であるラビリンスで迷わないよう、賢明にも麻糸を用意したのが彼に恋し彼を案ずる娘アリアドネで、その糸を辿って勇者テセウスは迷宮に怯まず、奥の院に巣食うミノタウロスと切り結び遂に斃した。意気揚々とテセウス、アリアドネ二人してクレタに帰還するのだったが、テセウスは途中悪阻におそわれたアリアドネをナクソス島に降ろし、独りさっさとアテナイに舟で帰還してしまう(このあたり実に合理的というか、ずいぶん割り切った男である)。
 さてテセウスに恋するアリアドネは独り島に残され途方に暮れるが、悲嘆とどまるところがないそんな時、向こうからなんだか騒がしい一団がやってくる。自然あふれるナクソス島にちんどん屋かと思えかし、これなんインドからやってきたバッカス(=ディオニュソス)の一団であった。
 言葉の真の意味で「鳴り物入り」で現れたバッカスはまず手始めにアリアドネの被っていた、宝石のついた冠をつかんで、やおら上空に投げ上げる。即座に冠は星座と変じた。劇的な出会いである。バッカスはアリアドネを慰め、やがて二人は結婚する。
 尤も、『ギリシア神話』を著した呉茂一も書くように、このバッカスとアリアドネの物語には異説が大変多い。話によるとテセウスを愛するアリアドネに横恋慕したバッカスがアリアドネをさらって島につれてきて、無理やり妻にしたという話もあり、別の話ではそもそも「アリアドネ(=とりわけ純潔な聖なる娘、の意)」とは大地母神のひとりではないかというものさえある。もし後者が正しければ、アリアドネはバッカスよりも偉い女神になるわけで、若いディオニュソスを従えた、単なる大女神の愛人譚に変貌する。
 ただ、いろいろな並行物語のなかで、最も劇的で最も人間的な類型が、このティツィアーノが描いている「バッカス=アリアドネを慰めるちんどん屋」物語である。
 恐らくこれでいいのだ。


豹が引く凱旋車を降りるやいなやアリアドネの冠を投げ上げるバッカス。上空ではすでに冠が星座に変わっている。
女を置き去りに、洋々と帰ったテセウスの合理的だが余りカッコよくない行動と、かくもヨッパライ的非合理だがカッコいいバッカスの行動との対比が素晴らしい。

バッカスはアトリビュートとして、頭に葡萄の蔓でできた冠を被っている。

「何事ですの?」と驚くアリアドネ。当然である。
独り残されて悲しんでいたら突然豹はくる、ヨッパライは自分の冠をつかんで投げる、その後ろから蛇を巻いたヒゲおやじは来る、子供は仔牛の頭を引きずっている、半鐘がじゃんじゃん鳴っている、では生きた心地がしなかろう。

絵の左隅には帆船が小さく見えている。恐らくテセウスの帆船であろう。


これらはバッカスの従者なわけだが、いろいろ言うべきことがある。
まず全員ヨッパライである。
次に、下の方に見える仔牛の頭はそれを先導する無邪気な子供のサテュロスにより引きずられている。
ひげ面のサテュロスはまるでラオコーンのように蛇を体中にまきつけている。
牛の足を振り回しているサテュロスも後ろに描かれている。
女性のサテュロスは半鐘のような、シンバルのようなものを絶えず鳴らしており、後方にはシオシオのパーになったので牛に乗せられたサテュロスも見える。
いずれ劣らぬ半裸のヨッパライ集団である。

しかし孤独に苛まれるアリアドネには、実はこれ以上ない援軍であるようにも思われる。

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