クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団の1965年録音。昔から、ミサ・ソレムニスの各録音中最高の評価を受け続けている名盤である。彼の方法論はマタイ受難曲においては胃もたれする向きもないではないが、この《荘厳ミサ曲》は彼の芸風が楽想とぴったりくることもあり、最高である。クメントやマルッツィ・タルヴェラをはじめとしたソロ陣もすばらしい。


ジュリーニ指揮ロンドン・フィルの1975年録音。ジュリーニは相変わらず合唱を率いさせるととてもいい(なお合唱はニュー・フィルハーモニア合唱団)。オケはロンドン・フィルなのでやや実力的には落ちるが、しかし当時ジュリーニはこのLPOといい関係を保っており、ほんらい線が細かったり部分的にぬっぺりしがちなこのオケを彼が振るとこの録音に限らずとても雄渾な音を出す。またアルトのジャネット・ベイカーとバスのハンス・ゾーティンがとても好き。

 ▽ Ludwig van Beethoven
Missa solemnis
  荘厳ミサ曲 作品123



■作曲 1819〜23年
■初演 1824.4.18 ペテルブルグ
■言語 ラテン語

《楽器編成》
Soprano Alto Tenor Bass
Chor Sop. Chor Alt. Chor Ten. Chor Ba.
Fl. 2 Oboe 2 Clarinet 2 Fg. 2 CtFg. 2
Holn 4 Tromp. 2 Tromb. 3 Timpani
1st Violin 2nd Violin Viola Cello ContraBass
Organ



■概要

 1819年、長い間ベートーヴェンに後援を惜しまなかったルドルフ大公が枢機卿、ついでオルミュッツ大司教に就任することが決定された。翌年の即位式に向け、祝典用に演奏すべく作成を始めたのがこの偉大な作品《荘厳ミサ曲》の着手であったといわれる。
 ベートーヴェンは当時、甥のカールの後見問題を抱えており(簡単にいえば1815年に死亡した弟に残された幼い甥カールの親権を、実母ヨハンナと取り合いをした)、特に19年から20年にかけては親権問題および教育問題が裁判沙汰になっていた。ルドルフ大公の就任式は1820年3月9日に執り行われたが、結局ベートーヴェンはこの《荘厳ミサ曲》を完成させることができず、結局完成しルドルフ大公に浄書スコアを献呈したのは1823年3月19日である。

 当時のベートーヴェンは先に述べた「カール問題」に加え、耳疾は悪化の一途を辿ってほとんど聴覚がなく、かつ黄疸の症状が現れて体調不良にも苦しめられていた。黄疸にともなう体調悪化はやがて回復するが、時折癇癪を爆発させながらも、死を前にした寂滅の世界に思いを致してもいただろうと思われる。この《荘厳ミサ曲》ののち、ベートーヴェンはかの有名な第9交響曲を完成させるが、彼自身は、第9よりもこの《荘厳ミサ曲》をより高く評価したといわれる。

 浄書スコア、「キリエ」冒頭にはベートーヴェンによって、"Von Herzen - Möge es wieder - zu Herzen gehn!"(心より出で、願わくは、再び心に至らんことを)と書かれた。

■内容

第1章 「キリエ Kyrie」 アッサイ・ソステヌート 「敬虔に」 ニ長調 2分の2拍子。3部形式。冒頭は序奏、主調和音のゆるやかな連打により幕を開ける。序奏で既に、後に歌われる旋律が予告されている。ヴァイオリンはソロで歌われる旋律を、そして低弦は合唱の旋律を予告する。やがて合唱が Kyrie を歌い出す。アルトソロによりキリエ主題が歌われ、"Kyrie eleison"(主よ、あわれみ給え)の文言は次々にまた荘厳に、合唱によって受け渡されていく。続いて、アンダンテ・アッサイ・ベン・マルカート ロ短調 2分の3拍子となり、中間部に至る。中間部はソプラノソロにより先導される "Christe eleison"(キリストよ、あわれみ給え)である。テノールをはじめとしたソロによりそれぞれ呼応され、フーガ風の展開となる。再び冒頭の主調和音が鳴らされ、楽想が繰り返される。

第2章 「グローリア Gloria」 第1部 アレグロ・ヴィヴァーチェ ニ長調 4分の3拍子。冒頭はヘンデルのメサイア、グーセンス版の《ハレルヤ》冒頭に似て、光り輝く勢いがある。強奏で駆け上がるオーケストラにすぐ続く形で、アルト合唱が "Gloria in excelsis Deo"(いと高き天の神に栄光あれ)と歌う。グローリア主題である。テノール合唱その他にも引き継がれ、膨大していくが、突然弱音で地上の平安が願われるが、再度グローリア主題が出て盛り上がる。続いてバス合唱が新しい跳躍主題を呈示し、すぐにフーガ風の展開となる。続いてメノ・アレグロ、変ロ長調でテノールソロがゆるやかに歌い始める。これは各ソロに模倣・呼応され、合唱がこれに和する。再度激しい弦の下支えとともにグローリア主題が現れ、盛り上がったのち、第2部へと続く。第2部 ラルゲット ヘ長調 - ニ長調 4分の2拍子。明るさは感じられるが、低弦の響きが重々しい短い旋律が次々に重ねられる。第3部 アレグロ・マエストーソ ニ長調 4分の3拍子。オーケストラがユニゾンで、踏みしめるような分散和音を奏するとすぐに、テノール合唱が "Quoniam tu solus Sanctus"(あなたは唯一の聖なる御者)と力強く歌う。ソプラノ合唱がそれに続く。第4部 アレグロ・マ・ノン・トロッポ・エ・ベン・マルカート ニ長調 4分の4拍子。ここまでもフーガ風展開はあったが、ここに正真正銘大フーガが始まる。バス合唱が "in gloria Dei patris amen" と上下降するフーガ主題を歌う。テノール合唱、アルト合唱、ソプラノ合唱、そしてソロが定型的にそれに続く。一部の隙もなく模範的に構築されたフーガは次第に盛り上がり、ポコ・ピウ・アレグロ 2分の2拍子に至ってやや落ち着くが、ソロに引っ張られるように合唱が続き、再度膨大し、ニ長調プレスト 4分の3拍子に至って最高潮に達する。グローリア主題がそのままのテンションで回帰し、アーメン終止する。 

第3章 「クレド Credo」 第1部 アレグロ・マ・ノン・トロッポ 変ロ長調 4分の4拍子。力強い前奏に続いてバス合唱が "Credo, Credo"とクレド主題を歌い始め、すぐに他声部が呼応する。一瞬の静粛を何度か挟み、勁いクレド主題がかえってくる。段階的に胸膨れるような楽節である。第2部 アダージョ ドリア旋法風 ニ短調 4分の4拍子。テノール合唱が "Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine"(そして精霊により聖マリアから受肉し)と歌い始める。旋律はアルトソロ、ソプラノソロへと受け継がれる。アンダンテ ニ長調 4分の3拍子に変わり、 "homo factus est"(人間となり来たり)と歌われ、続いてアダージョ・エスプレッシーヴォ ニ短調で "Crucifixus etiam"(それ自身、十字架にかけられ)と歌われる。アレグロに戻り、 "et resurrexit tertia die"(3日目に蘇り)と歌われて第3部への入りになる。第3部 アレグロ・モルト ヘ長調 2分の2拍子。 "Et ascendit in caelum"(天に上り)から荘厳で強靭な楽想が復活し、まさにキリストの復活と被昇天を賛美する。第4部 アレグロ・マ・ノン・トロッポ 変ロ長調 2分の3拍子。 "Et vitam venturi saeculi. Amen"(来世の生命をもつ。アーメン)とソプラノ合唱にて歌われる。これをフーガ主題として音楽が展開していく。やがて速度を速め、天に上るかのような盛り上がりを見せ、最終的には静かに章を終える。

第4章 「サンクトゥス Sanctus」 アダージョ ニ長調 4分の2拍子。 "Sanctus Dominus Deus Sabaoth"(聖なるかな、万軍の主神)と各ソロにより歌われる。アレグロ・ペザンテからプレストへと速度を変えつつ、各主題はフガートを展開する。やがてアンダンテ・モルト・カンタービレ・エ・ノン・トロッポ・モッソ ト長調 8分の12拍子にて "Benedictus"に至る。冒頭、フルート2本とソロ・ヴァイオリンが3オクターヴにわたって下降してくるが、これは聖三位一体を示している。バス合唱が "Benedictus qui venit in nomine Domini"(主の御名により来給う御者は祝されよ)と歌う。アルトソロがベネディクトゥス主題を歌い、すぐにそれらは各声部に引き継がれる。ヴァイオリンの高音によるオブリガードはカデンツァ風でありかつ高貴さを失わず、まるで天使が付き添っているようである。祈り深い楽想は静謐の一言である。

第5章 「アニュス・デイ Agnus dei」 第1部 アダージョ ロ短調 4分の4拍子。ロ短調の鬱勃とした前奏に続き、バスソロが "Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis"(世の罪を除き給う神の子羊、我らをあわれみ給え)とアニュス・デイの主題を歌い始める。"miserere" に旋律的アクセントが感じられ、ひとり残される人間の祈りは実に印象深い。第2部 アレグレット・ヴィヴァーチェ ニ長調 8分の6拍子。3部形式。アルト合唱およびバス合唱にて、"dona nobis pacem"(我らに平安を与え給え)と歌い出される。のち、ソプラノ合唱とバス合唱にて二重フーガ主題が呈示される。"pacem" という言葉に旋律的アクセントが置かれ、発展していく。中間部はアレグロ・アッサイ。楽想はがらりと変わり行進曲風の前奏からアルトソロとテノールソロが不安な表情を見せるが、やがて冒頭の "dona nobis pacem" が戻り、第3部へと続く。第3部 プレスト ニ長調 2分の2拍子。第2部の二重フーガでソプラノに歌われた旋律が、新しい旋律と絡み合い発展する。のち天国的色彩となり、短いフルートの旋律がいかにも平和的で楽園を想わせる。金管とティンパニが激しく奏され、合唱の歌う "Agnus dei, dona pacem" と、各ソロによる "dona nobis pacem"が呼応し、合唱により "pacem" と唱えられ、全曲が閉じられる。


■付記
 疾風怒濤、怒れる獅子ベートーヴェンが遂に辿り着いた境地といえる。ミサ曲というには巨大でかつ複雑、型破りの作品だが、そのあたりもベートーヴェンらしい。そしてこの曲には、メロディアスな部分は存在しない。全面、ベートーヴェンが信じた、旋律的禁欲主義のようなもので生成されている。その曲規模の雄大さで比肩しうるものはバッハの《ロ短調ミサ曲》だが、《ロ短調》にしてからがまだ、人をひきつける方便のような美しい旋律が部分的に見いだせる。しかるにこの《荘厳ミサ曲》はその名の通り、全編これ荘厳といわざるをえない。同様の曲と考えるとブラームス《ドイツ・レクイエム》がこの雰囲気に近いだろうか。ただ、規模も含めてと考えると、やはりこの《荘厳ミサ曲》は唯一無二である。

 なお、どうでもいいことだが(だから付記なんだが)、この曲は他のどのクラシック音楽よりもヘッドフォンでの視聴を拒絶すると思っている。再生機が小さくても粗末でもいいから、環境の許す限り大きな音で、スピーカーから聴いてもらいたい。ほとんど聴覚がないベートーヴェンが頭のなかだけで組み立てた音響が如何に畏怖を覚えさせるほどの崇高な響きをもっているか、それがよく分かる。

(up: 2015.3.16)
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