CBSブーレーズ盤、今聴くと冷徹さをより感じさせるのが面白い。Grammophon盤よりこちらのほうが体温が高い。



ACOにとって初めての「春の祭典」の録音はコリン・デイヴィスとだった。莫迦騒ぎするのではないが、全編緊張感が漲る。デイヴィスの名を高からしめた名演。
 ▽ Igor Stravinsky
Le sacre du Printemps
バレエ《春の祭典》


■作曲 1911年〜1913年
■初演 1913.5.29 パリ シャンゼリゼ劇場にて
      ピエール・モントゥー指揮 ロシア・バレエ団による



バレエ音楽 "春の祭典" (第2部第1曲〜第4曲)

Boulez / London Symphony Orchestra
第2部第1曲から。YouTubeで上がっているものとしては、「The Lite of Spring」 と題された続き物の第3本目だが、冒頭からの2本の多くはブーレーズのインタビューによって成り立っている。彼のフランス訛りの英語は、演奏する音楽に負けず劣らず明晰である。

《楽器編成》
Picc. 2 Fl. 3, Alt Fl. Ob. 4, EHl. Cl. 3 Fg. 4, CtrFg
Hr. 8 Tromp. 4 Trb. 3 Tuba 2 Tim. 4
1st Violin 2nd Violin Viola Cello C.bass
Symbal Tamb. TamTam Triangle
Bass drm. Guillo


■概要

 21世紀ももはや10年目を目の前にしている。世紀の10分の1が終わりかけている。
 振り返ってみる歴史はいつを眺めても豊饒の時代である。考えてもみれば百年前の今頃は、マーラーが赫々たる名声に包まれつつ健康面の不安に苛まれている時期であり、文豪トルストイが功成り名遂げながら嫁さんに虐げられている時期であり、オーストリアにてフロイトが「無意識」に世間の耳目を集め活躍していた時期である。音楽史に、当初は指揮者として、のちには作曲家として燦然たる名を残すマーラーは結局1911年に死ぬが、彼が死んだころから書き始められた《20世紀の古典》、それがこの「春の祭典」である。

 音楽史上、のちに名作と謳われる作品が、その余りの斬新さゆえに当時の観衆に》無視《されたことは数多い。しかし》暴動《を引き起こしたことはそうそう多くない(》反論《は》支持《の一変種である)。「春の祭典スキャンダル」はその多からざる例の代表だといえるだろう。この「事件」の描写は、ストラヴィンスキー自身が描く『自伝』に最も鮮やかである。
 シャンゼリゼ劇場の開場祝いにロシア・バレーが上演された。(中略)私のスコアの複雑さは、多くの回数のリハーサルを要求した。モントゥーは常日頃の熟達さと注意とでそれを指揮した。実際の公演に関していえば、たちまち嘲笑がおこった前奏の始めの幾小節かをきいただけで、私は観客席を立ってしまったのだから、判断を下す資格はない。私はまったくうんざりした。はじめのうちは孤立していたこれらの示威行為は、まもなく連帯を呼び、ついで反対の示威がわきおこり、寸時にしておそるべきさわぎになった。
 この作品は「火の鳥」「ペトルーシュカ」と並んで「バレエ三部作」と呼称されるが、最も先鋭的で強烈な印象を与えられる。まずその最たるはリズムである。まるで美術のキュビズムのように複雑に組み合わされた変拍子は聴く者の常識的なリズム感をはじき飛ばし、金管と打楽器による強烈なリズムが、破壊されて空白になった体内リズムに無理くり押し入ってくる。そして局所局所に軟骨のように現れる甘美なメロディ、これらによって、われわれの審美眼は完全に酔わされてしまう。

 わたしは、ストラヴィンスキーをメロディ・メーカーだと思っている。それは三部作の冒頭を飾る「火の鳥」にも明らかだし、またこの「春の祭典」の木管に奢られた美しいメロディ、また新古典主義に返り咲いた「プルチネッラ」を見ても明白である。メロディ・メーカー・ストラヴィンスキーが、異教徒のリズムに踊り狂う作品、それがこの「春の祭典」である。



 「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」はいずれも、ロシア・バレエ団の総帥・ディアギレフの委嘱によって作成された。「火の鳥」に手がつけられたのは1909年、まだストラヴィンスキーが名もない気鋭作曲家だった頃のことであり、管弦楽曲「花火」を聴いて彼の才能を見抜き、サークルに抜擢したディアギレフの炯眼はやはり恐るべきものである。

 1910年、「火の鳥」を作曲中だったストラヴィンスキーは、《邪教徒の祭典》をテーマに作品を作ることを思い立ち、友人のニコラス・レーリヒと共同で筋書きを作り始めた。筋は1911年に完成するが、「ペトルーシュカ」の作曲中でもあり、またディアギレフのすすめもあって、まずストラヴィンスキーは当該作品を先に完成させる。さらに「バリモントの詩による2つの歌曲」、合唱曲「星の王」の完成に続いて、「春の祭典」に精力を傾注できる環境が整い、ついに1912年末、オーケストレーションを完成させる。先に述べたスキャンダラスな初演を経て、現在「春の祭典」は、押しも押されもしない名曲、《20世紀の第九》に位置づけられている。

■内容

第 1 部 大地への讃仰 

 第1曲 「序曲」 レントにてファゴットが出る。この旋律の最高音はC。いっぽうファゴットの限界最高音はE♭である。ファゴットの最高音域で奏されるそれは不気味である以上に不安定で、スキャンダラスな曲の導入にふさわしい。のちイングリッシュ・ホルンがそれをまね、まるで虫が一匹の鳴声に呼応するようにしてホルン、オーボエ、クラリネットなどが次々に断片的な旋律を出す。総じてそれぞれの管楽器が高音域にて揺動しており、不安な雰囲気を漂わせる。冒頭の主題を再びファゴットが想起し、次の曲想となる。
 第2曲 「春の兆しと乙女たちの踊り」 意志的な弦のスタッカート付き全合奏による強烈なリズム。スフォルツァンドが複合拍子的に入っており、リズムが跳躍している。ファゴット2本で無骨な主題が奏される。「運命リズム」の打奏によるパウゼが入ったのち、ホルンがややおだやかな、しかし波瀾を感じさせる次の主題を出す。クラリネットにより模倣され、それの発展主題が一瞬、トランペットなどを中心とした厚い響きに登場する。ホルン主題に支配されている。
 第3曲 「誘拐の遊戯」 8分の3拍子にて、フルートにスタッカート付きの上下降旋律が登場する。拍子が複雑に複合されており、非常にぎくしゃくした印象を与える。とみに曲想が緊迫したものに変わり、4分音符の連続ながら拍子がつねに交替するクライマックスへ至る。
 第4曲 「春のロンド」 フルートが、萌え出でる短い若葉を模したのだろうかトレモロで伴奏をするなか、トランクィッロで、小クラリネットとバス・クラリネットが優美な「春のロンド」主題を奏する。のち弦が刻むリズムの上をゆるやかに流れるオーボエの旋律は、第2曲でファゴット2本で奏された無骨な主題の展開型であろう。テンポは4拍子、オーソドックスでゆるやかだが、嵐の前の海のたゆたいのような主題が奏される。雷のようなトランペットを得て、全合奏は大きくなってゆく。打楽器を伴って爆発したのち、再び「春のロンド」主題が出る。
 第5曲 「敵対する部族の遊戯」 モルト・アレグロにて切迫感のある主題がトランペットと弦にあらわれる。やがて複合拍子で構成された(6/4と4/4)第2の旋律があらわれてこれと絡む。模擬的な部族同士の対立であろう。
 第6曲 「賢人の行列」
 第7曲 「賢人」 ファゴットと低弦のリズムにのってテューバにて重厚な旋律がでる。のちテンポがレントにかわるところは、賢人たちが大地に祈るところが表現されている。
 第8曲 「大地の踊り」 急速に、プレスティッシモで演奏される。ホルンで躍動的なテーマが奏される。

第 2 部 いけにえの祭り

 第1曲 「序曲」 第1部は昼であったが、第2部は夜をあらわしている。テンポ指定はラルゴ。フルート群が、明滅するような、静寂と陰鬱を感じさせる主題を奏する。これはやがて発展して、アルト・フルートとヴァイオリンのソロにて跛行するような旋律があらわれる。これは次第に発展されくりかえされてゆく。大地は儀式によって呼び覚まされる。
 第2曲 「乙女たちの神秘的な集い」 乙女たちが集まって、いけにえを撰ぶ場面。3拍子、ピウ・モッソにて、美しい主題が幻想的に奏される。もうひとつの主題、幻想的で、儀式的で、呪文を唱えるような主題ががアルト・フルートにてあらわれる。これは第1部冒頭のファゴット主題にも類似しているが、より儀式的で意志的で、そして恬然としている。のち7度平行で合奏されるクラリネット主題となり、その不協和音は整然としているだけに不気味である。やがて、弦ピツィカートに乗ってフルートにてあらわれるギクシャクした第3の主題。それが終わると第1曲終幕直前の主題がまた登場し、発展したのち次の場面へと繋がる。
 第3曲 「えらばれた乙女への賛美」 テンションは第1部第2曲に類似しているが、より強烈でより鳴動的な、トランス状態に陥った群衆といった風情の曲。冒頭はヴィーヴォにて5/8にて出るが、金管が絶えず咆哮し、また拍子は節が出る事に変転されるとさえいいたいほどの複雑な変動をみせる。
 第4曲 「祖先の霊への呼びかけ」 2/2拍子にて、ヴィーヴォで出る。生贄は既に撰ばれ、その若い贄を祀るために祖先の霊を呼び覚ます場面。金管のコラールにて強く単純なリズムが、複合拍子にて出る。呪文を唱えるようなファゴットが間に挟まり、再び打楽器を伴ったコラール。
 第5曲 「祖先の儀式」 低弦と打楽器により4/4拍子のリズムにて、レントで伴奏があらわれる。その上に酩酊状態になったような旋律が、イングリッシュ・ホルンにて現れる。これは陶然となった若い女の贄だろうか。それに対位的に、アルト・フルートが絡む。贄を導く呪術師だろうか。やがて儀式の雰囲気に入る。トランペットのメロディが、祖先の霊に対して生贄の乙女を受け入れてくれるようにと祈る。やがてヴァイオリンにて春の角笛の音型が奏される。シンバルを含めた、切迫した打楽器に彩られて、トランペットの旋律が再び登場する。曲冒頭の旋律変形が、クラリネットに現れる。先よりもやや落ち着いた風情で、完全に贄としての体裁が整ったようである。
 第6曲 「いけにえの踊り、えらばれた乙女」 全合奏にてやはり単純で強いリズムが奏される。生贄として死ぬ乙女の生命力だろうか、心臓の鼓動だろうか。のち切分音による切迫した旋律にのせて、まずトロンボーンに、突き刺すような動機が現れる。それはすぐにピッコロとクラリネットに模倣され、この動機による興奮は拡がっていく。打楽器が狂乱の舞台を示し、ホルンによる息の長い旋律を中心とした曲想となる。強烈なリズムに支配されるなか、生贄の乙女はまさに斃れんとする。彼女は太陽神イアリロに捧げられる。

■蛇足

 原始的で直接的なリズムの乱舞、意外に美しい旋律、これはもう音楽の阿片である。

(up: 2009.4.13)
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