spatium artis ( 2015.1.6 updated )
Tuin der lusten
  快楽の園
c. 1500
Oil on panel,
central panel:
 220 x 195 cm,
wings:
 220 x 97 cm
Museo del Prado, Madrid

【部分図。クリックにて拡大】

■梗概

 恐らく、ヒエロニムス・ボスの最も有名な寓意画のうちのひとつ。
 トリプティーク・パネルになっており、観音開きの表紙(参照リンク;閉じている状態)を開くと、左翼にキリストやアダムとイヴなどを配置した「真実の楽園」が描かれており、そして真ん中に「楽園」が描かれており、右翼には「地獄」が描かれている。
 真ん中パネルの楽園にはたくさんの楽しげな人間が配置されているが、これを「地上の楽園」とする見方もあり、また「偽りの楽園」とする見方もある。ただ一見すると単純に非常に楽しげでもあり、また単純に鮮やかでもあり、「快楽」およびその「悪徳」をふたつながら示しているようにも見える。あるいは、時間軸が左から右に流れていくのだと考えれば、「真実の楽園」から、「大罪」を経て地獄に至る、という所謂堕落する構造を見ることもできる。
 真ん中の楽園には鳥や魚や奇妙な動物が、ただ蝟集しているだけではなくぬっぺらな身体をした人間の集団といわば一体化しており、動物たちが「野生」あるいは「野蛮」を象徴しているのであれば、あるいは情欲をむき出しにする罪を描いたと見ることができる。

 この奇想的な作品は、各部分が様々な解釈を許す上に、まだそれら解釈が完全に固定されたとは言いがたいが、しかし単純に解釈なしで眺めても、たいへんに面白いしまたたいへんに美しい。スキゾフレニックな名作である。

左翼パネル。
キリストが、アダムとイヴの結婚を祝福している。
左下に鼠をくわえている猫が見られるが、これは邪悪なものの駆逐をあらわしているのだろうか。

キリストの上のほうには「生命の泉」が見え、中に寓意化された植物のような蟹の化物のようなものが見える。さらにその向こうには理想的な自然の楽園があり、キリンやゾウが見るからに平和に生活している。
中央パネル右よりの部分。

多腕化された人間が赤い樹の実をもち、その頭にフクロウが乗っている。
フクロウはしばしばボスの絵画に登場するが、いい意味での「知恵の象徴」として出てくるというよりは、「邪悪な世界の象徴」として登場することが多い。
中央パネルに出る人間のほとんどが樹の実をもち、かつ賢しらな舞踏を披露しているところを見ると、この樹の実は知恵の実であるのかもしれない。そうだとするとここにフクロウがとまっているのはフクロウの本来的なアトリビュートとしての意味がある。ものの本によると、この赤い実は野苺で、「つかの間の快楽と虚しさ」を示しているともいわれる。
中央パネル中央付近。

金髪の女が大勢、裸で水浴びをしている。その周囲では、まったく様々な動物に乗った、やはり裸の男女が浮かれて円環を回り続けている。

なお、「円環をなす乗馬」は、当時の文学によると、罪深さと情欲の象徴とみなされていたといわれる。
右翼パネル。

一見して了解されるように、「音楽地獄」が表現されている。この拡大では見難いが、左側にはリュートがあり、裸の人間がしばりつけられている。また、その隣のハープは、弦が人間を串刺しにして宙吊りとしている。
ハープの近くには赤い外套の妖怪があぐらをかいており、この妖怪のリードでその後ろの多数居る罪人が無理やり歌わされている。

右に見えるのは鳥の悪魔で、人間を頭から食らっている。
右翼パネル上部。

一度見たら忘れられない「樹木人間」が、がらんどうの胴体を覗かせながらこちらを見ている。
これは地獄の主であるという解釈もあり、また(胴体がたまご型であり、卵と錬金術は関連性が深いことから)錬金術士であるという解釈もある。

頭の上には風笛があり、さらにその左上には両耳の間にナイフが挟まった奇妙な物体がある。耳をつんざく音楽地獄というところだが、男性器をかたどっているようにも見える。
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