spatium artis ( 2015.1.24 updated )
Alegoria del tacto
  触覚の寓意的な表現(盲目の彫刻家)
1632
Oil on canvas
 125 x 98 cm
Museo del Prado,
Madrid

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■梗概

 年老いた盲目のみすぼらしい彫刻家が、頭の部分の彫像を撫ぜている。
 「触覚の寓意」である。

 元々、リベーラには五感を寓意的に表現した連作(1615-16)が認められている。そしてモチーフとしては、その連作のなかの「触覚」と、この絵のモチーフはよく似ている。
 また、このモデルは「ガンバッシの盲人」、すなわちトスカーナ地方ガンバッシに生まれ、28歳で視覚を失いながら、彫刻家として大成したジョヴァンニ・ゴメッリであるという説があるが、いっぽうゴメッリは1603年生まれであるところ、この1632年完成の絵のモデルとなるには若すぎるという反論もある。「ガンバッシの盲人」はモデルのひとつとしてはあり得るかもしれないが、このリベーラのモチーフはより抽象化された、架空の彫刻家であろう。
 向かって左下に同じ彫像の絵のようなものが見えており、これが何を意味するかということは多少の議論の的になっている。


深く年輪が刻まれた彫刻家の表情。

実物の絵を見ると、広い額の部分へのハイライトがより強く感じられ、指で感じた触覚が彼の頭に浮かんでいるように見える構図になっている。
また、その表情は明らかではないが哲学者のような味わいをもっている。同時期に描かれた同じリベーラの《アルキメデス》を彷彿とさせる。

人生経験を感じさせる、節くれだった手。
見るほどに、まさに彼が感じている触覚がわれわれにも反射されてくるようだ。彫像の髪の表現の凹凸、額の部分のゆるやかな曲線、おとがいやもみあげなど。

スポットライトは、先に見た彫刻家の額と彼の指先に当たっており、触ったものが彼の年季の入った想像力で再構成されているようすが見事に表現されている。

テーブルの上にある、同じ彫像のものと思われる絵。

これは、視覚の優越を示しているものであるともいわれ、この彫刻家が見ることができないものであるという意味で努力の虚しさに対する皮肉を示している、または盲目の彫刻家の哀しみを表現しているとも言われる。

ただ、思うにこれはどちらかというとまさにこの盲目の彫刻家の頭のなかで構成されている想像上の絵ではなかろうか。
頸を触り、唇を触り、鼻を触り、そしていま額から頭頂部を想像力で捉えようとしているのではないか。
根拠はないがそのように感じられる。
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