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spatium artis ( 2015.1.28 updated )
Diogenes
  哲学者ディオゲネス
1637
Oil on canvas,
76 x 61 cm
Gemaldegalerie,
Dresden

【クリックにて拡大】

■梗概

 リベーラは1630年代に、立て続けに哲学者の肖像を描く。
 このディオゲネスの肖像はそのうちの一つだが、リベーラの描く哲学者はどれも、殊更な神聖化もしくは理想化をされることなく、或いは逆に、特徴をデフォルメされたりすることもなく、ただ自然で何処にでも居るような風貌をしている。
 また、そもそもこのディオゲネスという哲学者は、社会のアウトサイドに慈しみの目をむけたリベーラがさぞ惹かれるだろうという人物である。この絵でも非常に簡素な(言葉を変えると、みすぼらしい)格好をした蓬髪髭面のこの哲学者は、まるで世捨て人のような生活をした。

 そもそも、ギリシアには「ディオゲネス」というと二人居る。まずは『ギリシア哲学者列伝』を書いたディオゲネス・ラエルティオス。そしてこの絵に描かれているシノペのディオゲネス。
 ラエルティオスの方は人物像が伝わっていないが、このシノペのディオゲネスは非常に面白い。
 キニク派を代表する哲学者のひとりで、アンティステネスの弟子である。アンティステネスはソクラテスの弟子でもあるので、一応ソクラテスからすると孫弟子といえなくもない。師アンティステネスはソクラテス思想を禁欲主義的に発展させたわけだが、キニク派の「欲望を制することが有徳の生活である」、という思想は「簡素で自然に近い生活が理想である」という反文明主義的な方向にも発展し、ディオゲネスもやはりそのような、つまり有り体にいえば乞食のような生活をした。かといって隠者かというと全くそうではなく、都市の道端に樽をおいてそこに生活し、人のいる場所に出てきては何かと挑発的な、シニカルな物言いをした。そう、そしてそもそも今使った「シニカル」という言葉、まさにこのキニク派に源をもっている。そう考えると皮肉の祖、というふうにもいえるだろう。
 彼ディオゲネスの逸話はじつにさまざまなものがあるが、たとえばソクラテスの弟子プラトンが「人間とは毛が無い二足歩行の動物である」と人間を定義すると、雄鶏の羽をむしって持ってきて「プラトンの人間とはこれのことだ」と述べてみたり、広場で弟子たちと下半身丸出しでマスターベーションをしながら「これと同様に腹をこすって空腹が満たされたらどんなにかいいだろう」と言ってみたり、挑発的であるが虚を突いた(否、あるいは真を突いた)発言の数々で有名であり、プラトンからは「狂ったソクラテス」のあだ名を頂戴した。

 なお、リベーラがこれを描いた当時つまりバロック期には、このディオゲネス、かなり人気があったようである。リベーラ自身も、これ以外にもう一枚、老年にさしかかったディオゲネスの肖像を描いている。


これはランプなのであるが、いわばディオゲネスのアトリビュートである。

真っ昼間からランプを焚いてうろついているディオゲネスに対し、人がなぜランプを持っているのか尋ねると、彼ディオゲネスは「人間を探しているんだ」と答えたという。
つまり、マトモな人間はどこにもおらんじゃないか、という皮肉である。

如何にも醒めた瞳と蓬髪。
過度に至らない形で、リベーラは彼の「そうであったろうと思われる」姿を活写している。
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