■狂言名曲紹介
宗論
法華 「愚僧はアノ者と一緒に居るは嫌でござる。別の間があれば貸して下されい。
主人 「別の間と申してはござらぬが、見れば御出家同士でござるによって、
    仲良う一緒の間にござつたがようござりませう。
浄土 「別の間と申してはござるまいがの。
主人 「いかにもござりませぬ。
浄土 「その、ないのがようござる。
【出家座頭狂言】

◆登場人物
 シテ 浄土僧
 アド 法華僧
 アド 宿屋の亭主

◆予備知識
 所謂「出家物」、僧侶の人間的振舞いを俯瞰で見て笑うという構造ですが、そもそも能で僧侶がつねに重要な役割を果たすということがひとつの「振り幅」となっております。また、法華と浄土の僧がそれぞれ出ますが、法華僧は当時の認識では真面目で堅物、浄土僧は当時の認識では融通無碍で酒脱、と思われていることが知られます。三宅藤九郎芸談によると「法華の強情に対するに浄土の執拗」という表現がされております。
 また、この曲の展開部で提示されるそれぞれの宗論については少し内容が分かると大変おもしろいものです。
 まず法華僧が出す宗論《五十展転随喜の功徳》については、「法華経のありがたい功徳は、次から次へ五十人を語り継いでも全くその功力が衰えない」というのが本来の意味ですが、「展転」を「てんでに」、「随喜」を「芋茎」と読み替えて換骨奪胎、「てんでに五十も出てくる芋茎を料理して食うと大変ありがたい」という、狂言らしい話にしてしまいます。
 また、そののち浄土僧が出す宗論《南無一念弥陀仏熄滅無量罪》とは、本来は、「弥陀仏に願うことで一度気に多くの罪を滅することができる」という意味ですが、「罪」を「菜」に置き換え、「斎時に檀家から提供される食事でオカズが少なくても、弥陀仏に願うことでオカズがたくさんに増える」とこれまた狂言らしい卑俗な話にしてしまいます。

◆概要
 まず法華僧が登場し、やや生硬な物言いで、自分の宗派の総本山・甲斐の身延山久遠寺にいってきた帰りで、実に有難い寺なのでまた参りたいものだ、ということを述べます。連れ待ちがてら法華僧が休んでいるところに浄土僧が登場、信濃の善光寺に参詣し、帰り道であることを述べます。続けて「似合はしい連れがなあれかし」、似合わしい連れでもいないものかなあ、と独りごちます。法華僧が声をかけ、一緒に参りませんか、となって否やのあろうはずもなく、二人はすぐに歩き始めます。恐らく連れが嬉しかったのでありましょう、法華僧は、お互いに何があっても「京まではとくとお供いたしませう」と約束してしまいます。しかし同道の雑談のうちに、あなたは何処から?という話になり、まずは法華が「六条本圀寺の出家でござる!」と自己紹介します。驚いた浄土ではありますが、面白いことに「情強者」に出くわした、「道々なぶってやらう」とイジる気満々です。当然法華も浄土に聞きます。浄土は勝手知ったる状態、「黒谷の住僧でござる!」と名乗ります。当然恐懼する法華、法華は真面目一徹、このようなものとは同道できぬ、と考え、浄土僧に対し、待ち合わせの連れがあったのを忘れていたので先に行ってください、とやんわりと同道拒否の意志を示しますが、道々イジる気満々の浄土は「さっき言ったことと違う」と肯んじません。法華はあきらめて自分だけ急いでいこうとしますが、浄土においかけられ、歩きを絶えず邪魔されます。
 浄土僧は、「お前みたいな出家に出会うたならば言いたいと思っていたことが山とあるわ!」と言い出し、情強い法華よりも愚僧の宗旨にならしめ、と言い、続けて如何に浄土教が有難いか述べます。法華僧も負けずに「言いたいことが山ほどある」と言い、黒豆を数える(浄土教の、数珠をつまぐる仕草を揶揄したもの)よりも愚僧の宗旨にならしめ、と言い、続けて如何に法華経が有難いかを述べます。しばらくやり合いますが、いやになった法華僧、近くの宿屋に逃げ込み、宿をとります。法華僧が居ないことに気づいた浄土僧も宿まで探しに来て、居るとみるや宿の主人に「先ほどの出家の連れでござる」と伝え、同部屋に泊まることに成功します。法華はいやがって宿の主人に「別の間を貸してほしい」というが、主人は「出家同士なんだから仲良う泊まればいいだろうが」と言ってききません。
 ここで浄土は、「夜も長し」、よもすがら宗論をして対決しようじゃないか、と法華にふっかけ、もし自分が相手の宗論に説得されたと感じたならば、相手の宗派に宗旨変えをしよう、と言い出します。受けて立つ法華。ここで、「予備知識」のところで記した、法華の《五十展転随喜の功徳》、浄土の《南無一念弥陀仏熄滅無量罪》がそれぞれ説かれますが、お互いの宗論に対して「料理話だ」「意地汚い餓鬼道の話だ」と罵り合います。いやになった浄土僧は「寝仏者を致す」として眠りに入りますが、法華も「寝法華と致す」と眠ります。
 浄土僧がまず起き、勤行を行います。まだ眠っている法華のところにやってきて、耳元で念仏を唱えるという嫌がらせを行います。法華も起きて勤行を始めます。浄土は踊り念仏をして「彼奴を浮かいてやらう」(浮かれるようにさせてやろう)とし、騒々しく踊り念仏を始めます。法華も対抗して「踊り題目」として題目を唱えながら踊り狂います。二人でぐるぐる回りながら踊り読経するなかで、いつしか浄土が「南無妙法蓮華経」、法華が「南無阿弥陀仏」と言い始め、互いの題目と念仏が入れ替わってしまいます。
 そこで気づいた二人、仏の教えに2つはない、ということで納得し、最後は粛々と二人そろって退場します。

◆みどころ
 堅物の法華僧とお調子者の浄土僧の対比から始まり、罵り合いから双方食うことばっかり言う宗論、ドタバタへ至って念仏と題目を取り違える、という、間延びするところが一切ない出家物の傑作です。「法華も」「弥陀も」「隔てはあらじ」と締める終わり方も、落ちるべきところに落ちているという納得の終結です。

(2015.1.6 updated.)
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