高砂の後シテにて用いられる邯鄲男。



〈たをやめぶり〉を遺憾なく発揮している日本の古典。若いうちは受験の影響もあって莫迦にしているが、年をとると『万葉集』とともに心に染み入るのがわかる。この《高砂》はこの『古今集』の解釈がベースになっていると思われる。










※註釈1
〈クリ〉とは、最高音(クリ音)を含む段のこと。《高砂》でもそうだが、サシおよびクセに先行することが多い。

※註釈2
〈サシ〉とは、高音域で始まるレチタティーヴォ風の小段。

※註釈3
〈クセ〉とは、いろんな曲に出てくるが「曲舞」(くせまい)を取り入れた定型的な小段。
■能楽名曲紹介
高砂
【脇能物】

◆作者
 世阿弥
◆季節
 春(2月)
◆場所
 播磨・高砂の浜 ⇒ 津・住吉

◆登場人物
 ワキ   神主
 ワキツレ 従者(2人)
 ツレ   姥
 シテ   老人
 アイ   所の者
 後シテ  住吉明神

◆予備知識

 「脇能」のひとつでありますが、そのなかでも最もめでたい曲となります。冒頭に出てくる「高砂の松」および「高砂の尾上の鐘」はともに高砂の名物となっていたものです。また、途中、万葉集の時代と古今集の時代を比べる文言が出ますが、今聞くと両方共大昔の時代のことですが、この時代では古今集は「現代」、万葉集は「昔」のものであるという認識です。原典がそもそも、『古今集』解釈による構想なので、『古今集』がベースになっております。
 例えば、後半に住吉明神が詠う
我見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松幾世経ぬらむ
睦ましと君は白浪瑞垣の久しき世よりいわひそめてき
などは、『古今』および『新古今』に見える歌です。これらの歌は『伊勢物語』にても引用されています。

◆あらすじ

 まずワキが神主の「友成」という名を名乗ります。ワキとワキツレの一行は、都を見たことがないので都にのぼり、そのついでに播州高砂の浜を見ようということで、既に高砂の浦についた体になっております。誰か来たら高砂の松の来歴を聞いてみよう、ということで待っておりますと、老人と姥が現れます。老人と姥は、過ぎた年月の感慨と、また辺りの情景を語りつつ松の落葉を掃き清めます。松は既に老木、そして自分たちも歳を重ねてしまった、これからいつまで生きることだろうか、と語ります。
 そこで神主が「高砂の松はいづれの木を申し候らふぞ」と老人に問いかけ、老人は、いま掃き清めているのが高砂の松であると答えます。神主は続けて、相生の松というのが住吉にあるが、なぜこれほど国を隔てているのに「相生の松」というのかと尋ねます。老人は、「この尉はあの津の国住吉のもの、これなる姥こそ当所の人なれ」、つまり自分は住吉の者だが、この老婆はここの者なので、と伝え、姥に向かって「知りたることあらば申さ給へ」と伝えます。神主は、両者とも一所(一緒;ここ)にいるのに不審なことだといいます。老人は「うたての仰せ候ふや、山川万里を隔つれども、互ひに通ふ心遣ひの、妹背の道は遠からず」つまり、情けないことをいう、と。万里を離れているが、夫婦として互いを思う心遣いがあれば、妹背の道は遠くないのだ、と答えます。続けて、「相生の松」は情がない(人間ではない)のに「相生」と呼ばれている。ましてや生ある人となれば、年長く住吉から通い慣れて相生の夫婦となっている、なんの不思議があるかと答えます。そこで感嘆した神主は、相生の松の来歴を問います。
 老人と姥が、松の物語を答えます。すなわち、「高砂」というのは万葉集の時代である昔のこと、「住吉」というのは現在の延喜帝の時代のこと、さらに「松」というのは永久に尽きぬ和歌の道のことで、その反映は古今、万葉集の時代も今の古今和歌集も同じである、というふうによき御代を誉めるたとえなのだ、と答えます。疑問がすっかり解けた神主は、老人とともに、この情景の素晴らしさ、またこの御代のありがたさを謡います。
 さらに松のことを詳しく聞く神主に対し、老人は地謡に心を委ねながら、〈クリ〉※註1で舞いつつ、草木は花実の時を間違えずに咲くことを、〈サシ〉※註2で舞いつつ、一方の松は「花葉時を分かたず」(時に応じて花を咲かせたり実をつけたりすることがない)と謡い、〈クセ〉※註3で舞いつつ、四季が巡っても変化することがない、と称えます。続けて、そのような機縁をもっている松こそ、和歌の道に心を寄せる人間の心を磨く「種」となる、と謡います。
 さらに松のめでたい故事をあげる老人に対し、神主は「老木の昔あらはして、その名を名乗り給へや」と伝えます。老人は「高砂住ノ江の、相生の松の精、夫婦と現じ来たりけり」と答え、さらに、住吉の方へいってお待ち申す、と神主一行に伝え、舟に乗って沖に消えます。

 〈中入〉

 アイである所の者が神主に呼ばれ、やはり住吉の松の来歴を尋ねられます。中入前にて老人が語ったのと同じようなことを答える所の者に、神主は先程の不思議な体験を語ります。所の者は、奇特なことであり、自分が持っている舟の乗り初めはめでたい人を乗せたいと思っていたところこれは好都合、早く自分の舟で住吉へ行きましょう、という流れになります。

 神主一行は住ノ江に着きます。
 後シテ、すなわち住吉明神が現れ、めでたい舞を舞います。
 住吉明神は出端から、「我見ても久しくなりぬ住吉の、岸の姫松幾世経ぬらむ。睦ましと君は知らずや瑞垣の、久しき代々の神神楽、夜の鼓の拍子を揃へて、すずしめ給へ宮つこたち。」(わらしが見てからでも長い間経たこの住吉の岸の姫松はいったい何代の御代を経たのだろう、この姫松と仲が良いことをあなたはご存じないのか、わたしと姫松との仲は久しい昔からのこと、そんなはるか昔からの夜神楽の鼓の拍子を揃えて、神主たちよ神慮を撫しなさい)、と謡います。さらに明神は春景色を祝い、御代を祝って神舞を舞います。神主は明神の出現に感激し、住吉明神はなおもめでたい舞楽の曲を連ねつつ舞い踊り、留拍子で終止されます。

◆上演時間
1時間25分

◆みどころ
 なんともめでたい春の曲で、特に後半の神舞は「これぞ能楽の醍醐味」というべき晴れやかさです。修羅能の「幽玄」とは対照的な、明るい農村祭祀的性質が見られます。

(2015.2.3 updated.)
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