フジミ模型の清水寺を作成して、キミも田村丸になってみないか!仏力の加護を感じてみないか!
■能楽名曲紹介
田村
【修羅物】

◆作者
 世阿弥
◆季節
 春(3月)
◆場所
 京・清水寺

◆登場人物
 ワキ   旅僧
 ワキツレ 従僧(2人)
 シテ   童子
 アイ   所の者
 後シテ  田村丸

◆予備知識

 田村丸、もしくは田村麻呂とは、日本中世東北討伐の征夷大将軍、坂上田村麻呂 (758-811) のことを指しています。田村麻呂は797年、征夷大将軍に任命され、ついで802年、胆沢城(岩手県奥州市))を築いて阿弖流爲を討伐、胆沢制圧をなしとげます。さらに志波城(岩手県盛岡市)を築城し、北上川上流までを制圧します。
 京都清水寺は大同2年(807年)、田村麻呂の請願により東山区に建立されたものであり、この曲では田村麻呂の東北征伐の様子、および清水寺の来歴が述べられます。

◆あらすじ

 東国からやってきた旅僧(ワキ)が、未だ見たことのない都を訪ねるべく3月に出立し、清水寺まで辿り着いたことを述べます。今は桜の盛り、九重の桜に見とれていると、童子が現れ、「それ花の名所多しといえども、大悲の光色添ふ故か、この寺の地主の桜にしくはなし」と語り始めます。旅僧は童子に、花守の方ですかと尋ね、然りの答えがあったのちに、重ねてこの寺の来歴を尋ねます。童子はこの寺の来歴、すなわち田村丸が建立したものであること、またこの辺りの名所を教えます。中山・清閑寺、その向こうに今熊野、北に入相の鐘が聞こえているのは鷲の尾の寺(霊山寺)である、と教えているうちに、音羽の山の峰より月が輝き出ます。
 旅僧「げにげにこれこそ暇惜しけれ、異心なき春の一時」
 童子「げに惜しむべし」
 旅僧「惜しむべしや」
 旅僧および童子「春宵一刻、値千金、花に清香、月に影」
 それら風流な問答があったのち、地謡で春の面白さ、有り難さが謡われます。
 のち、旅僧は童子に対し、「ただびとならぬよそほひの、その名いかなる人ならん(様子を見ているだけでもただのお人ではないと察しますが、いかなるお人なのでしょうか)」と問います。童子は「おぼつかなくも、思ひ給はば、わが行く方を見よや」とし、田村堂の扉を押し開けてその中に入っていきます。

 〈中入〉

 僧が桜の下で法華経を読経していると、田村丸(後シテ)が花の光に輝きながら現れ出ます。あなたは何者ですかと問う僧に対し、田村丸は自分が坂上田村丸であると明かし、自分が東夷を平らげ悪魔を鎮めることができたのも、ひとえに「当寺の仏力」すなわちこの寺の観音のお力によるものであると答えます。地謡が、田村麻呂の戦模様、すなわち逢坂の関から粟津の森、石山寺から近江路、伊勢の山から鈴鹿までの行軍を謡います。勅命により伊勢路に入った時、鬼が数千騎もの軍勢となって攻め寄せてきたが、神力を頼み加護を祈願すると、千手観音が飛んで現れ、「千の御手ごとに、大悲の弓には、知恵の矢をはめて、一度放せば千の矢先、雨霰と降りかかって、鬼神の上に乱れ落つれば」鬼神は残らず討たれてしまった、「これ観音の仏力なり」と仏力を賛美して田村丸は消え去ります。


◆上演時間
1時間20分

◆みどころ
 修羅物の多くは後シテが源平の武将であるところ、この曲は源平の人間が出てこないこと、また前シテは記載したように普通は老翁であるところ、童子であることが他のものとの違いでありましょう。もっといえば修羅物で前シテが童子であるのはこの曲のみです。
 修羅物でありながら、修羅の世界の苦しみを述べることがない曲です。春の美しさの賛美と、また田村丸の勇壮さ、剛直さがまっすぐに謡われる、闇さや陰りといったものがない、つまりは修羅物であるにかかわらず極めてアポロ的な曲ともいえます。

(2014.12.23 updated.)
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