spatium artis ( 2015.1.25updated )
Juno en Argus
  ヘラとアルゴス
c. 1611
Oil on canvas,
249 x 296 cm
Wallraf-Richartz-Museum,
Cologne

【部分図。クリックにて拡大】

■梗概

 とばっちり、というのは人生につきものである。

 真ん中で複数の目玉を手にとっているのはヘラ。つまりローマ神話でいうところのユノ、ユピテルの妻である。真ん中で人の生首のようなものをいじくっているのが虹の女神イリス。そしていじくられている頸の持ち主が、下で筋骨隆々たる体を横たえているアルゴスである。

 そもそものお話が、ギリシア神話に通じているひとはよくご存知のように、このヘラはユピテルの三番目の妻なわけだけれども、極めて嫉妬深いひとである。否、不倫は文化などではなく気が多いユピテルのたんなる罪咎なわけで、結局夫ユピテルが何処にでも彼処にでも女をつくって遊びまわるからいけないので、むしろかわいそうなヘラというべきだが、とにかく浮気的なことに対する猜疑心は非常に強いひとである。
 さてユピテル。いつものことながら、嫁さんの女官イオを見初めて天上から降りてきて無理やり自分のものにした。いつものこの人の手である。ところがヘラもさるもの、ユピテルが天上に居ないものだから、浮気の証拠をつかもうと彼女も天から降りてきた。ユピテルは百戦錬磨、ヘラが降りてくることを先刻察知しており、愛するイオを雌牛に変えておく。まさかこれでわかるはずはあるまい、というわけである。
 ところがヘラ、明らかに美しすぎる雌牛を一目見るなり「怪しい」と目をつけた。雌牛の前でしらばっくれているユピテルに「この雌牛をわたしに下さいませ」と頼む。はたと困ったユピテル。やらない、というのでは怪しい。やる、というのでは口惜しい。ううむと困ったが、雌牛一頭やらぬということになれば疑惑が膨らむ。やむなくユピテルは雌牛つまりイオをヘラに与える。
 夫の愛人を貰い受けたヘラだが、放っとくといつユピテルがやってきて密会するかしれたものではない。そこでアレストルの息子アルゴスを雇って見張らせる。このアルゴス、頭の周囲に眼が百もあって、ある眼が眠っているときも他の眼は起きている。24時間張り込みのテレビカメラのようなものである。
 このままでは口惜しいユピテル、メルクリウスに命じアルゴスを退治させる。メルクリウスはまるで旧友のようにアルゴスの隣にやってきて、世間話なんぞをしながら葦笛を吹く。眠気と戦うアルゴス。自信満々で繰り返し葦笛を吹くメルクリウス。遂にアルゴスは眠ってしまう。鋭く反った剣を振るう。哀れアルゴスは頸をとられてしまう。
 アルゴスがやられたことに気づいたヘラ、その目玉を手に取り、可愛がっている孔雀の羽毛につけると、孔雀の羽はきらきら光る宝石のようになった。この後ヘラの怒りはユピテルではなくイオに向かうとこらあたりは実に人間臭いが、それはのちのお話。

 つまり、以上のようなギリシア神話を見てもわかるように、この絵のなかで死体をさらしているアルゴスはとんだ夫婦喧嘩のとばっちりである。友達に頼まれたので焼きそば屋台の店番をしていたらいきなり羽のついたヤクザが乗り込んできてドスで斬られたようなもんである。犬死にである。

 せめて孔雀が残る、という言い方もできないわけではないが、それではやはりどこか虚しい。


左上図、左側の両手は虹の女神イリス。アルゴスの頭から眼を取り出している。
右側はヘラ。取り出された目玉を手にとって、孔雀の羽毛につけんとするところだろう。
いずれもルーベンスらしく豊満な美女として描かれている。

イリスの頭上には彼女のアトリビュートである虹が輝いている。

哀れメルクリウスにやられて横たわるアルゴス。

絵に出てきていないが、メルクリウスというのは足が速く空が飛べて戦える商売上手の魔法使いみたいなところがあって、有り体にいえばユピテルほどではないが万能の神である。
相手が悪かったというべきでもあるが、しかし何度も言うがとんだとばっちりである。

肉体描写はギリシア彫刻のようだ。

孔雀の羽をいじって喜ぶプット。

左端のプットが「静かにしろ」という手振りをしている。ヘラが怒っているということの謂でもあろうか。

孔雀の羽根の表現、そしてプットが掴んで曲げているところの質感表現、いずれも見事である。
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