spatium artis ( 2009.3.26 uploaded, 2015.1.21 updated )
Lasset die Kindlein
  子供らをわがもとに来させよ
1884
oil on canbus,
1880 x 2905 cm
Leipzig, Museum der
bildenden Kunste

【部分図。クリックにて拡大】

■梗概

 幼い子供たちが、イエスを慕って集まってくる。イエスはそれを受け入れ、祝福を与える。それを咎めた弟子が、逆にイエスにたしなめられる。そんな人間的な場面が、マタイ福音書には記されている。
ここにイエスの人々に手をおきて祈り給はむことを望みて、幼子たちを連れ来りしに、弟子たち戒めたれば、イエス言ひたまふ。『幼子らを許せ。我に来たるを止むな、天国はかくの如きものの国なり』。かくて手を彼らの上におきて此処を去り給へり。
 (『マタイ福音書』第19章)
 ドイツの現代画家フリッツ・フォン・ウーデは、画題をマタイ書におきながら、同時に時代性を現代へと引き寄せることによって、親しみやすさ・現実性・同感の大きさ・アトリビュートの分かりやすさを吾がものとしている。嘱託として描かれた当初は、他の登場人物が現代の服装でイエスのみ時代錯誤的な格好をしているだとか、イエスがみすぼらしいだとか、それぞれ批判が多かったといわれるが、今日ではこの画家の作品のなかでも人気のあるものとして評価されている。


祝福を受ける子供たち。ある子らは一途なまなざしをイエスに向け、ある子らは困惑しているのか、恥ずかしいのか、直視できないのか、物憂い表情で俯向いている。
膝に頭をのせている女の子の姿を見るにつけ、父親のような、等身大のイエス像が感じられる。後ろに少しだけ見切れている大人は神父であるようだ。いずれにせよ、この場所では子供が主人公であり、大人はすべて周縁に追いやられている。

イエスに怒られた弟子だろうか、後ろで当惑の表情をうかべながら、祝福を与えているイエスを見守る大人。

その前には若い女の人が、妹らしい赤ん坊を抱き、弟らしい子供をひきつれている。どの人も、総じて貧しい生活をしているらしいことが、彼らの服装でわかる。特にこの後ろ側についていっている男の子は裸足である。

あくまでも人間らしいイエス。
完成当初は、あまりに今までと違い、普通の人間のようなイエス像に非難がみられたようだが、このイエスは実に現実的で親しみ深い。

その頭によく見られる光輪などは見られないが、天からの輝きが彼の頭に降り注いでいるのがわかる。
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