コンテンツ > 伝統芸能 > 黒川能 | |||
【※註釈1】 NHKが昭和五十五年に王祇祭のドキュメンタリーを撮影しておりますが、そちらによるとその年の能番組は次のようになっております。 --- 式三番 高砂 (脇能) 靱猿 (狂言) 田村 (修羅物) 千鳥 (狂言) 三輪 (四番目物) 猿替勾当 (狂言) 土蜘蛛 (切能物) 笠の下 (狂言) 大瓶猩々 (切能物) --- |
【能】 ◆能の始原に触れる◆ | ||
黒川能 | |||
能に関しては、特に室町時代以降、中央の有力者および権力者により庇護を受けてきた経歴がございます。特に江戸時代は、幕府の式楽として発展を遂げてきました。そんな中で現在行われている能は、あるいは洗練され、あるいは追加削減され、あるいは演出を変更され、当時の形からは変容して現在に至っております。 いっぽう、庄内地方には、室町時代観阿弥世阿弥の流れをくみながら、中央の能の発展とは無関係にただ連綿と受け継がれてきた能形式がございます。山形県鶴岡市櫛引地区、春日神社の氏子により伝承されてきた能、それらを地名から「黒川能」と呼び称します。 そもそも黒川能が何故ここに伝えられたかということは諸説ございますけれども、当時の有力者がもっていったか、あるいは当時の地方豪族が能楽師をつれてきたか、どちらかではございましょう。むしろ驚くべきは、他の地方でも猿楽能発展以降一時的な地方への移植はあったであろうものの、当時から今に至るまで大切に伝承されてきたものは岐阜の能郷白山とこの黒川能の他に例がないということでございます。地方で能楽を維持することの困難ひとかたならぬものだったに相違なく、500年という恐ろしいほどの年月を経て伝え来られた過程にこそ、めったにないという真の意味で「有難味」を感じるものでございます。 春日神社では年4回の例祭にてそれぞれ黒川能が奉納されますが、最も重要なものが、旧正月に行われる「王祇祭」であります。 2月1日の払暁、春日神社から「王祇様」を当番の世帯(当屋)に迎えます。当屋は上座と下座があり、上座当人は豊後守、下座当人は常陸守を名乗ります。 昼ころ、それぞれの当屋にて、氏子の総会が始まります。まずは「座狩」、つまり「○○殿、お着きなされましたか」「ようございます」という総点呼が行われます。次に、「当乞」つまり、来年の当屋当人が決められます。当屋当人は氏子の最年長者が指名されるわけですが、長生する人は神に近いという思想が反映しております。続いて座の宴会となります。 18時過ぎ、幼児による「大地踏」を経て、能が5番(厳密に言えば翁+脇能+4番)、そして狂言が4番、夜を徹して執り行われます。これは所謂「翁付五番立」に似ておりますが(「能の楽しみ」参照)、「五番立」は翁と脇能物、修羅物、鬘物、雑能物、切能物から選ばれるところ、能番組表を確認する限り必ずしも5種類を満遍なく行うものでもないようです(※註釈1)。翁+脇能が終了した時点で真夜中、23時ころ。下座から上座にこの頃、「暁の遣い」がもたらされます。遣いの内容としては、当屋での神事が無事に進行していること、および、明日の神社での神事も過ちのないよう、相務めよう、ということを上座に伝えます。 なお、上座当屋において行われる翁は「所仏則」といい、黒川能特有の翁でありますが、さらにこれは上座のみで行うもの、所仏則の来歴および沿革はよくわかっておらないということです。 翌2日は、場所を春日神社に移し、ご神体を神社にお還ししたうえで神前にて、上座および下座が翁と脇能を演じます。さらに大地踏、式三番が行われます。神事はその後も夕刻まで続きますが、能楽がらみの行いはここで終了します。 中央では既に消滅してしまった演目が、黒川能では数多く残っております。 これは実に偉大なことであります。権力者が博物館に残すのとはわけが違い、春日神社の氏子、つまり農民の皆さんが、祖先からそれらを引き継ぎ、たまに引き出して確認し、間違いを修正し、元に戻し、また大切にしまう。来年に引き継ぐ。それらを500年という恐ろしい年月の間、続けておるわけであります。 飢饉の年もありましたでしょう。 戦の年も、流行病の年もありましたでしょう。 しかし、それらは現在に至るも、立派に受け継がれております。 これは驚嘆すべき努力であります。 そして、中央では「押し戴くもの」としての「芸術」となり来ってしまった能楽ではありますが、黒川能は能楽(もっといえばその源流である猿楽)の、いわば雑味があってヴィヴィッドでセンシティブな、有り体にいえば稲作日本人の営みに直契するものとしての、素朴に五穀豊穣を願う、始原的な能楽の姿、もはや日本人の多くが稲作を離れてなお、心に原風景としてもっているものを直裁に貫く何かを今に伝えているように思われます。 (2015.1.31 updated.) |
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