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セルのベートーヴェンを私はとらないが、英雄だけは特別だ。ロマンティックな表現は常に抑制されているが、それだけに、たとえば第4楽章コーダの絶妙なアッチェレランドによる盛り上がりなど、僅かな表情づけが絶妙、極めて効果的である。構築力・凝縮力が、英雄交響曲のもつ斥力と拮抗して絶妙なバランスを示している。



フリッチャイとBPOによる1958年10月のセッション録音。もし「エロイカ」のイデアがあるとすると、最も近づいた演奏かもしれない。未だフルトヴェングラーの薫陶残るBPOを十全にドライヴし、余裕のあるテンポでマッシヴに音を鳴らす。音響バランスも完璧で、内声部のホルンもしくは木管が鳴った際に「こんな音が入っていたのか」と新鮮な驚きがある。フリッチャイが白血病で夭折しなければどんな大指揮者になったかと哀しさ一入の名演。



フルトヴェングラーのスタジオ録音。燃焼度は「ウラニアのエロイカ」と呼ばれる44年録音盤が上だが、繰り返しの鑑賞に耐えられるのはむしろ音質のいいこちらかもしれぬ。ロマンティッシェとは何かを十全に教えてくれる演奏。




【DVD】
いつもクールな帝王が、ベルリン・フィル百周年を迎えて燃えに燃えている演奏。ヨーロッパのトップに君臨するオケが本気を出すとどんな音がするか、の典型的な例証。質感のある、じつに恐ろしい音が出ている。カラヤンは既に年寄りなので(当時74歳)、第2楽章以降は少し息切れするが、楽団はそのテンションのまま最後まで弾き切ってしまう。





燃えるといえばテンシュテットも負けてはいない。1990年、彼が癌から一度復帰したのちの演奏。彼の定評あるマーラー演奏に通底する意志力を感じさせるが、古典らしいバランスも失っていない。ライヴ音源ながら繰り返しの鑑賞に耐えうる。




音質がよい、ロマンティックな演奏をお好みならばジュリーニ。ルート音と中音に力の入った、堂々として馥郁たる演奏である。個人的には旧盤であるロス・フィルとのものを勧めたいが、現在廃盤扱いのため当該スカラ座管盤を表示してある。
 ▽ Ludwig van Beethoven
Symphony No.3 "EROICA" in Es-Dur op.55
  交響曲第3番「英雄」変ホ長調 作品55



■作曲 1803〜04年
■初演 1805.4.7 アン・デル・ウィーン劇場
      ベートーヴェン指揮による



ベートーヴェン 交響曲第3番

Furtwaengler / Berlin Philharmonic Orchestra
1952年の録音。フルヴェンが亡くなる2年前。

《楽器編成》
Fr. 2 Ob. 2 Cl. 2, Fg. 2
Hr. 3 Tromp. 2 Tim. 2
1st Violin 2nd Violin Viola Cello C.bass


■概要

 1817年、詩人クリストフ・フックナーはある時、交響曲を第8番まで既にものしていたベートーヴェンに、「あなたは自分の交響曲の中でどれがもっとも好きですか?」という質問をした。
ベートーヴェンはためらいなく答えた。
 ――『エロイカ』
 ――私はまた『ハ短調』(第5)ではないかと思っていました……
 ――いや、絶対に『エロイカ』です!
  (ロマン・ロラン「エロイカ」より [ 『ロラン全集23巻』みすず書房 ] )
 それは、多分にこの曲が書かれた自分自身の背景、それに対する思い入れというのもあるに違いない。

 1802年5月頃から、彼はウィーン郊外のハイリゲンシュタットに滞在していた。耳の疾患が既に余りよくなく、医師の忠告によると、自然の多いハイリゲンシュタットのような田舎町で静養する必要があったわけである。しかし耳は一向によくなる兆しを見せず、ただ悪化の一途を辿った。ベートーヴェンが恐るべき焦燥にかられたのは想像に難くない。音楽家にとって耳が聞こえなくなってゆくというのはまさに致命的である。これ以上残酷な仕打ちはないといえよう。彼はウィーン郊外の田舎町で運命の不気味な足音と独り闘っていた。
 そんな懊悩するベートーヴェンに運命は追い討ちを掛ける。ジュリエッタ・ギチュアルディというイタリア女。それは彼が『月光』を捧げた相手である。
若くて美しい蓮葉女に彼は血道をあげた。彼は彼女に完全に征服されてしまう。しかし挙句の果て、彼はジュリエッタから振り捨てられる。彼女はこの稀代の天才を、同じ音楽家でも素人臭い、凡才で、しかも美青年である貴族ガーレンベルク伯爵に見かえて、彼と結婚してしまう。ベートーヴェンは失望と憤激で、心を打ち砕かれた。彼は『月光の曲』を書いてジュリエッタに送った6ヶ月の後、有名なハイリゲンシュタットの遺書を書くのである」(野村光一)
 しかし―――彼は死ななかった。己に託された崇高な使命を熟知していた彼、ベートーヴェン。誰よりも強靭な意志力は彼を立ちあがらせた。そして一度運命によって蹴倒された一個の―――神に選ばれし人間に湧き上がるのは熱い創作意欲の塊であった。

 彼の中で、自由の戦士ナポレオンを賛美する楽曲を書くという構想は既に出来ていた。1795年当時のウィーン駐在フランス公使ベルナドット将軍から「ナポレオンに新作を献呈してはどうか」という薦めが出ている。その時は何も手を付けずであったが、その構想は彼の胸の内に秘められていたらしい。運命の仕打ちに際し、止まる処を知らない創作欲はその構想を燃えあがらせた。何だか・・・まさに運命に仕組まれたかの如き情景である。運命に倒され、決然として立ち上がった彼の創作欲の先にはフランス革命の混乱からフランスを立て直した自由の戦士、ナポレオン・ボナパルトが居た。ナポレオンとベートーヴェン。稀有の2人の英雄が共に揃って初めて成り立ち得る作品・それがこのエロイカである。
 ちなみによく知られたエピソードで、ベートーヴェンが「自由の戦士」と信じて疑わなかったナポレオンが遂にフランス皇帝の地位についた時、既にエロイカを完成しそしてボナパルトに献呈しようとした彼は「あの男も畢竟普通の人間に過ぎないのだ!」と激しく怒り、「献呈」と書かれた楽譜の表紙を引っ張り破ってそれを地面に叩きつけたという話があるが、本当はそんなグチャグチャにしたわけではない。ただ猛然と怒ったのは事実のようである。
 2年経って出版された、音楽史上最も偉大な交響曲のスコア表紙にはボナパルトの名前はなく、「シンフォニア・エロイカ」「1人の英雄の想い出の為に」というイタリア語が記された。


■内容

 第1楽章 変ホ長調。トゥッティ(全合奏)による決然とした主和音2回によってその幕を開ける。本来的にはこれは終結のやり方である。これはベートーヴェンがそれまでの自分を殺す為のハンマーである。ここで確かにベートーヴェンは一度死んだのだ。叩き付けられた主和音2回は終結――転生の合図である。すぐ後、第1主題はチェロの音によって出る。ホ長調の分散和音を上降する一見単純なものであるが、この主題は第1楽章において装いを変え、雰囲気を変え、骨までしゃぶり尽くされる。決然とした意志は主題を通して変成しながら運命と取っ組み合いを行う。
 この楽章で特筆すべきは展開部が――少なくともそれまでの交響曲の伝統形式から見れば――異様なほど長いことである。ここでは提示部のあらゆる節が展開され、用いられている。それが結果として絶えず膨張するかのような印象を、聞き手に与えるのである。
 それから結尾部も130小節以上の長きにわたる。ここでは既に戦い終えて丘から静かに街を見下ろす英雄が描かれているかのようだ。激しい戦いを回想する英雄。655小節(16:45〜)からは勝利の雄叫びである。
 なお、このすぐ後658小節から5小節分、当時のトランペットでは音が出なかった為、「主題の行方不明」が生じる。処が現代のトランペットはその、ベートーヴェンが欲しかったであろう音が出るので、昔の指揮者はほぼ例外なく楽譜を改変して朗々とトランペットを吹かせる。ここが一つの問題―――楽譜処理上の問題―――になることはつとに有名である。

 第2楽章 「葬送行進曲」の表題を持っている。それまでの交響曲には類を見ない。ここで英雄は死ぬのである。それはナポレオンの死を予言したのだとも、1801年に戦死したアーバークロンビー将軍の死をイメージしたものだとも、英雄主義に対する一つの観念を示したのだとも言われる。
 ハ短調。自由な三部形式でもって書かれている。弦によって奏される、喪失感の滲む主旋律はしずしずと、しかし強靭な意志を内包したまま進む。トリオになるとオーボエとフルートに天国的な旋律が出るが、それはトゥッティによってかき消される。変奏された形でそれは再び弦に出、やがてそれは膨らみながらトランペットのファンファーレ的な旋律と嵐の如きティンパニに導かれ、頂上を極める。
 再現部、再び涙の滲むような行進曲の主旋律が流れるが、それはベートーヴェンの天才的な閃きにより展開せられ、遠大な世界を構築していく。それは静かな呼吸の如き結尾部に繋がり、やがて沈み込むように楽章に幕が引かれる。

 第3楽章 当時の交響曲の形式では第3楽章はメヌエットである。しかし第1楽章で運命と戦い、第2楽章でやるかたない喪失感を伴った葬送があって、第3楽章がメヌエットでは尻抜けである。ベートーヴェンはここにスケルツォ楽章を持って来ることを思い立った。正確には第2交響曲で既にその実験めいたものは行っていたが、実際にかっちりとしたスケルツォという形式を取ったのはこれが初めてである。音楽評論家野村光一は「劇的コンティニュイティを一層合理的に貫徹するつもりならば、この楽章はあるいは割愛した方がよかったかもしれない」というようなことを言っていて、正当な意見ではあるが、少なくともベートーヴェンが書いたスケルツォ楽章の中でも当楽章は傑作の一つであろうと思われる。
 三部構成、変ホ長調。スケルツォ主題は絶えず動き回るかのような、非常にリズミックな旋律である。何だか私は、英雄が馬上で狩りにでも興じているかのような、「力が抜けた力強さ」のようなものを感じる。それから特筆すべきはトリオで、ホルンの三重奏が朗々たる旋律を奏でる。

 第4楽章 変ホ長調。変奏曲形式である。変奏形態は第1変奏から第7変奏まであって、冒頭12小節から弦パートに出る、足元を確かめるような主題が次々に変奏されてゆく。この主題は元々、彼の楽曲『プロメテウスの創造物』のフィナーレ舞曲に使われたものであり、その旋律そのものについての構想は既に練れていたので、他の楽章と比べ第4楽章は易々と作成されたという話である。
 第1変奏は第2ヴァイオリン、ヴィオラと第2ヴァイオリンがちょこまか動き回るような装飾を施す第2変奏は第1ヴァイオリンによって、それぞれ主題が奏される。第3変奏では主題は低音にまわり、木管群に非常に美麗な旋律が出る(1:48〜)。更に展開部を挟み、第4変奏(5:20〜)。ここではフルートが絢爛たる節を奏し、主役を演じる。ソリストの腕の見せ所である。第5変奏は行進曲調、あるいはスキップのようなリズムになる(5:53〜)。100小節余りの第2展開部を挟み、ポコ・アンダンテによる第6変奏が現れる(6:07〜)。更にプロメテウス主題による非常に雄大な第7変奏(7:59〜)。その後畳み掛けるような結尾部に至り(10:45くらいから)、決然と終結する。

■付記

 冒頭引用した文章に続いて、ロマン・ロランは次のように述べている。
百年以上の時をへだてて、われわれも彼と同様の判断を下す。じつに『エロイカ』こそ、その全体が奇蹟であるベート−ヴェンの作品のうちでも、なお際立って見えるひとつの奇蹟である、もしその後かれがなお長く行きのびたとしても、これほど幅広な歩みを一足でなしとげることは再びできなかったろう。この曲は、音楽の偉大な白昼の一つである。それは新しい一紀元を開く。
  (上同、ロマン・ロラン)

 絶世の交響曲。
 聴くたびに新たなる感動。
 1804年に創造された偉大なetwasに相対した人は、祈りではなく、喜びでもなく、ただ驚きと、そして勇躍活力を与えられる。

(up: 2008.12.3 旧WEBサイト稿改訂、2009.4.5 再改訂)
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