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東京文化会館で行われたライヴ(ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」 録音:FM-TOKYO)と迷ったが、Remasterで音がよくなったらしいのでこちら。初演当時の恐怖政治、その雰囲気がよみがえる。何かに憑かれた妖刀のイメージ。




スタジオ録音で明晰な音がするものとしてこちら。ヤンソンスもまた、ショスタコーヴィチに因縁浅からぬ指揮者(父アルヴィドはムラヴィンスキー時代のレニングラード・フィル副指揮者)である。名門オケを粛然と纏めている。




3rdチョイスとしてこちら。関西フィルライヴ。飯守のうなり声で始まる冒頭から、オケ、指揮者ともに何故か異様に力が入っている。特に第2楽章の勁さはなかなか他の演奏では見られない。併録に大澤壽人が入っているのは関西オケならではか。こちらも優美な実にいい演奏。





ニヒリスティクな寂寥感とマッシヴな爆発力が共存する演奏。特に第4楽章の盛り上がりは素晴らしくも暗鬱である。ソ連製(メロディア)なのでどうしても音に色気がなくてカサカサしている。現状新盤品切れ状態のようなので、欲しいひとはAmazonで莫迦高いものを買わずに中古CDショップなどで求めましょう。




マーラーがとてもいいインバル/フランクフルト放送響のノリがいまいちよくないのが不思議極まる。ロストロのはなんかボテボテでスカスカな不思議な演奏。マゼール/クリーヴランドはいつものように全く面白くない。フェドセーエフは何がいいたいかわからないコールタールみたいな演奏。バーンスタインは再現芸術としては一級品だが、ハリウッド映画で見るショスタコーヴィチの一生のようで、表現は迫真に満ちるが深刻な不安感が感じられない。




Symphony No.5 in d-moll op.47
  交響曲第5番 ニ短調 作品47

■作曲 1937年
■初演 1937.11.21 レニングラード
  エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団による


交響曲第5番第4楽章 (楽章全曲)

Mravinsky / Leningrad Philharmonic
数々のショスタコーヴィチ交響曲初演を成し遂げてきた、いわばタコさん伝道者としてのムラヴィンスキーの演奏。ムラヴィンスキーによる、このカナくさい、硬質でかつ極めて意志的な演奏、それを含めて初めてショスタコーヴィチだといいたい。コーダの部分がじつに恐ろしい。

《楽器編成》
Pc.Fr. 2 Ob. 2 miniCl. Cl.2 Fg. 2, CtrFg.1
Hr. 4 Tromp. 3 Tromb. 3 Tuba Tim.
Violin 2part Viola part Cello part C.bass part
Symbal Tamb. Tamtam Triangle Xylophon
Celesta Herp 2 Bass drum Side drum Piano


■概要

 スターリニズムによる粛清の嵐吹き荒れる中、覚えのめでたからざる存在だったショスタコーヴィチ乾坤一擲の大曲(沿革については、当Web「ショスタコーヴィチ」第三部参照)。彼の交響曲のなかでは、「体制に阿るために作った曲」という先入見が一時つよくあった為、また一聴、分かり易くてポピュラー名曲に近いものでもある為、あまり評価は高くないけれども、虚心に対峙したとき、誰もがやはり、その迫力に圧倒されるだけの名曲であるだろう。一部のひとは、絢爛豪華な第4楽章をみて、また同じような構成をとるベートーヴェンの第5交響曲とも重ね合わせて、ショスタコーヴィチの第5交響曲もまた「苦悩から歓喜へ」を表現しているに違いないと考えた。
 さて、当初、この曲を書いたことによって、それまで悪化し続きだったソヴィエトの首脳陣の、ショスタコーヴィチに対する評価が上向きに転じたわけだが、しかしのちに『ショスタコーヴィチの証言』という本が出ることによって議論が錯綜する。その中でショスタコーヴィチは「この曲(交響曲第5番)における最終的な歓喜は、《強制された歓喜》なのだ」と言ったとされる。この本の、特にショスタコーヴィチが言ったとされる内容の信憑性には極めて疑わしいものがあるわけだが、しかしそれにしてもこの『証言』が出たことによって、第5番交響曲の評価も錯綜した。ただでさえ、政治思想にコミットした評価が錯綜する作曲家である。そもそも、ショスタコーヴィチが当局に尻尾を振ったのか、それとも振ったのは二枚舌の一枚か、というところから意見は百出することになる。
 この曲は単純に「苦悩から歓喜へ」の表現なのか、それとも「強制された歓喜」なのか。そういうことも含め聴き、味わうとより面白いだろうと考える。
 なお、わたしの考えは第4楽章の部分でも抄述するが、後者である。

■楽章

 第1楽章 モデラート - アレグロ・ノン・トロッポ。変形ソナタ形式。16分音符+4分音符の跳ねるようなリズムで、低弦と高弦がオクターヴで模倣し合う旋律で始まる。この、まるで怒りのような第1主題と、ヴァイオリンが奏でるやわらかな第2主題が絡み合って楽想が発展していく。この第2主題はのち、第4楽章でも重要な役割を果たす。展開部はこの主題を中心とした行進曲的楽想となり、トロンボーンなどを伴った第1主題を絡めて爆発したのち、最後はppで消えてゆく。
 第2楽章 アレグレット。スケルツォ。マーラーの諧謔的スケルツォを彷彿とさせる楽章。まず低弦に印象的な旋律が出る。それを木管が受けるが、旋律に絶えず軽い前打装飾音がついており、シニカルな印象を高める。中間部はヴァイオリン・ソロで出るが、夢から覚めて目玉だけ動いているような、重い軽さをもつ楽想である。
 第3楽章 ラルゴ。あくまでも透明で、柔らかい。金管楽器を全て排除していることも含めて、マーラーの交響曲第5番アダージェットを彷彿とさせる。旋律は古い民謡のようである。話によると、ショスタコーヴィチはこの楽章をもっとも気に入っていたという。
 第4楽章 アレグロ・ノン・トロッポ。恐らくもっとも有名な楽章。金管楽器が二音のトリルを吹き鳴らして露払いの役目を果たしたのち、トランペットとトロンボーンに強情で隆々たる旋律が出る。この主題、あるときはそのまま、あるときはテンポを倍にしたりして登場する。一聴、朗々たる旋律ではあるのだが、しかし、この曲を演奏するがわから考えてみたときに、金管とくにトランペットの高音酷使、および結尾部に入っての、ヴァイオリン隊がハイ・Aの音を「キィキィキィキィキィキィ」と鳴らし続ける姿、これはまるで、壇上の独裁者に向かって民衆が歓呼の両挙手を強制され続けているかのようだ。この楽章における演奏者の苦しみを見るにつけ、この楽章が「強制された歓喜」と呼ぶにふさわしいものと実感する。演奏効果ではなく、効果的演奏にショスタコーヴィチは思いを託したのではないか?

(up: 2008.2.14)
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