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レヴァイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、1986年のセッション録音。室内楽的演奏をやらせたらVPOの右に出るものはない。さらにプリマドンナのアンナ・トモワ=シントウは上品、作曲家のバルツァはやややんちゃだが純粋。そしてツェルビネッタのキャスリーン・バトルははまり役。さらに道化師に近い重要な役である舞踏教師を私の好きなハインツ・ツェドニクがやっていて大変いい。



ツェルビネッタはグルベローヴァで聴きたいところでもあるが、ベーム盤はDVD だし、ショルティ盤はロンドン・フィルハーモニーとの演奏でかつ指揮が好みではない ところもあり、なかなか難しい。


参考:ベーム盤

参考:ショルティ盤
 ▽ Richard Strauss
Ariadne auf Naxos
歌劇《ナクソス島のアリアドネ》



■作曲 1911-12, 1916年
■初演 1912.10.25 シュツットガルト宮廷劇場(《町人貴族》劇中劇として)
      1916.10.4 ウィーン 宮廷劇場
       フランツ・シャルク指揮による
■台本 ホフマンスタールによる
■言語 ドイツ語
■時代 プロローグ:18世紀半ば、オペラ:神話時代
■場所 プロローグ:ウィーン、オペラ:ギリシア・ナクソス島

《楽器編成》
Fr. 2 Ob. 2 Cl. 2, Fg. 2
Hr. 2 Tromp.1 Tromb. 1 Tim.
Violin 6 Viola 4 Cello 4 C.bass 2
Symbal Tambouline Triangle Harp 2
Harmonium Piano Side drum Celesta


《おもな登場人物》
作曲家 (ソプラノ) 若い作曲家。劇中劇のオペラを作曲した。コロコロ態度が変わる。
音楽教師 (バリトン) 作曲家の師匠。今般の劇の舞台監督を務める。
Tn歌手/バッカス (テノール) いきなり怒って出てくる。
プリマドンナ/アリアドネ (ソプラノ) プライド高い歌姫。喜劇と一緒に演じられるのをいやがる。
ツェルビネッタ (ソプラノ) 恋多いというか、尻が軽い。後半のツッコミ役。
ハルレキン (バリトン) 道化師。機敏でやや軽率であつかましい。
舞踏教師 (テノール) ツェルビネッタのなだめ役。
スカラムッチョ (テノール) 道化師。狡猾なほらふき男爵系なおっさん。
トゥルファルディン (バス) 道化師。狡猾な召使い。
ブリゲッラ (テノール) 道化師。若いが無骨。



■概要

 前作《薔薇の騎士》(1911)、前前作《エレクトラ》(1909)、そしてその前の、リヒャルト・シュトラウスの名を高からしめた《サロメ》(1905)では、いずれも大オーケストラを用いて豪華絢爛で強烈な音響をもたらし後期ロマン派ファンの好事家を喜ばせたシュトラウスだったが、この《ナクソス島のアリアドネ》ではその様相が随分変容している。
 この《ナクソス島のアリアドネ》に想定されているオーケストラは総勢36人。さらに登場人物を見て了解されるように、出てくるのはソプラノとテノールばっかりという感じである(とくに作曲家役配役ははホーフマンスタールの反対を押し切って、リヒャルト・シュトラウスはソプラノにこだわった)。女声の最高音域のソプラノ、男声の最高音域のテノールをメインに用いることで、倍音成分の関係上、より純化した音が感じられるようになる。

 そもそもこの作品は、喜歌劇《町人貴族》の劇中劇として構想、作曲された。しかしながら(単純に長過ぎるということもあり)初演後は不評であり、リヒャルトは改訂を行う。
 結果的に、《町人貴族》からこの作品をごっそり取り出し、さらに序曲を新たに作曲して、独立の一作品とした(いっぽう、取り出されたほうの《町人貴族》も再編成されて、組曲《町人貴族》として成立させた)。

 なお、アリアドネ神話をテーマとした音楽劇は少なくない。例えば
モンテヴェルディ 《アリアンナ》(1608)
ヘンデル 《クレタにおけるアリアドネ》(1734)
ガルッピ 《アリアンナ》(1763)
マスネ 《アリアーヌ》(1906)
デュカス 《アリアーヌと青ひげ》(1907)
ミヨー 《テセウスはアリアンナを捨てる》(1928)
などがある。

 このオペラは「プロローグ」と「第1幕」のみで構成されている。「プロローグ」の舞台はウィーンのある金満家の大邸宅であり、そこではオペラ・セリア「ナクソス島のアリアドネ」が上演されることになっていた、が、茶番劇「浮気なツェルビネッタと4人の恋人たち」がそのあとで演奏されることになり、続いて時間の都合で「いっしょに」演奏されることになる。「いっしょに」というのが重要なところである。


■内容

 プロローグ
 金満家の邸宅の一室。舞台が準備されつつある。今晩オペラ・セリアの舞台監督を務めることになっている音楽教師がいきなり出てきて、邸宅の執事長に「ジングシュピールとかオペラ・ブッファとかいう低級な茶番劇をやるというのは本当か」と尋ねる。然りと答える執事長。最初はオペラ、次はオペラ・ブッファ、その次に花火が始まる予定になっている、と答える。音楽教師困惑。作曲家は上演にそなえ、生真面目にあっちの練習、こっちの練習を見て回っている。歌手の稽古をつけるためにテノール歌手に会いにいくが、彼が劇中使う鬘に文句をつけて鬘師をどなりつけているのに遭遇、びっくりする。作曲家、新たな旋律を思いつき、鬘師に紙を所望するがにべに断られる。ツェルビネッタ、猥らなネグリジェの格好で衣装室から士官と一緒に出てくる。舞踏教師はツェルビネッタに、オペラ・セリアの退屈さを説いている。作曲家はツェルビネッタに気づくが、自分のオペラのあとに演じるオペラ・ブッファの主役だと知ると怒り心頭。若いだけに純粋である。すぐに先ほどの思いついた旋律を書留めたがり、音楽教師が五線紙を与えると喜んで旋律を作り始める。つまり若いだけに単純である。そこでツェルビネッタが道化たちと一緒に控室から出てくる。作曲家再度怒髪天を衝く。楽譜を引き裂く。オペラでアリアドネ役をやる予定のプリマドンナ登場。ツェルビネッタ一行を見て、こんな連中と一緒にやるのかと嘆く。ツェルビネッタ、退屈なオペラ・セリアを先にやられるのは空気が淀んで大変迷惑だと悪罵をつく。舞踏教師、ツェルビネッタをなだめ、客は変える頃には我々の喜劇しか覚えていませんよ、と言う。音楽教師はプリマドンナに、アリアドネ以外にお客の印象に残るものはないはずだ、と言う。追従屋同士の対決である。
 執事長登場。主人がプログラムを変えろと言い出したと伝える。オペラ・セリアの《アリアドネ》と、オペラ・ブッファを同時にやれ、と言い出す。テノール歌手仰天。プリマドンナ困惑。ツェルビネッタは肚が座っているので心を決めて準備のために控室に帰る。作曲家と音楽教師は抗議する。舞踏教師はどちらかというと乗り気。荒れた孤島が舞台のオペラなんぞ悪趣味の極みと言い募る。作曲家は怒りと困惑の余り上演をとりやめようとするが、舞踏教師に「かつての大家はひとに自分の作品を聴いてもらうために、もっと大きな犠牲を払った」と尤もなことをいう。作曲家心を決めて急いで改作にとりかかる。プリマドンナはバッカスが歌いすぎなんでついでに削れという。テノール歌手はアリアドネの出番を削れという。音楽教師は双方に、相手の方を削りますので安心してください、と勝手なことをいう。いっぽう準備のために出てきたツェルビネッタは、「アリアドネは純愛の余り死のうとしてバッカスを死神だと思ってついていった」、という作曲家の純粋な解釈を鼻で笑う。更に共演の道化師たちに対し、同時上演の《アリアドネ》の筋にチャンスを見つけ次第上手いこと入るんだ、と諭す。
 ツェルビネッタは作曲家の隣にきて彼を誘惑、若い単純な作曲家は同時上演に一気に乗り気になる。プリマドンナはツェルビネッタを一瞥し、何を考えてこんな人と一緒に舞台に上げるのか、と音楽教師に抗議する。音楽教師、実力の差を見せつければいいではないですか、とどうにか宥める。さあ始まるぞという時に、ツェルビネッタの共演の道化師4人が、いともだらしない格好で現れる。それを見た作曲家仰天。「やっぱり(同時上演を)ゆるすべきではなかった」と後悔、神聖な芸術が汚される、と意気消沈し、「自分の世界の中でこごえさせ、死なせて下さい!」と走り去る。

 第1幕
 孤島ナクソス島の洞窟。アリアドネ、既にテセウスに捨てられて打ちひしがれ、横たわっている、木の精や水の精、やまびこなどが様子を見守るが、何日も同じこと。大して気にもとめなくなっている。アリアドネ、自分の境遇を大いに悲しむ。ツェルビネッタと道化たち登場、ハルレキン、なぐさめるために、苦痛に心は耐えられる、という歌を歌う。アリアドネの反応なし。アリアドネは「死の王国」を望む長い独言。精霊たちは消え、ツェルビネッタ以下4人が登場、アリアドネを慰めるため、踊り始める。有効でないことにまずツェルビネッタが気付き、彼ら道化師たちを押し退ける。ツェルビネッタ、捨てられる哀しみは自分たち女に無数にあるが、新しい愛の感情は再び忍び寄ってくる、と歌う。自分は貞節であるが、悪い女でもあると歌う。新しい神がやってきたら我々は夢中になるのだ、と歌う。しかしアリアドネ、洞窟に隠れてやはり反応なし。道化師たちとツェルビネッタ、聞く耳もたんのではどうにもならんと言い合う。道化師たちはハルレキンを先頭に、突然ツェルビネッタに対してそれぞれのやり方で言い寄りはじめる。踊り合うが、結局ハルレキンとツェルビネッタがくっつき、二人で急いで行ってしまう。
 そんな中、精霊たちが島に到着したバッカスを発見、口を極めて彼を賞賛する。バッカスの声に惹かれて、アリアドネも洞窟から出てくる。アリアドネはバッカスを死神だと思って近づいていく。バッカスはアリアドネの美しさに強く惹かれる。アリアドネは死の国に行きたいばかりに、バッカスの胸に抱かれる。バッカスがアリアドネに接吻すると、アリアドネは世界が変わったことに気づく。バッカスも「神の心がわたしの心に呼び起こされた」と神性を獲得、アリアドネは胸に希望を抱く。ツェルビネッタは二人を見ながら諧謔的に微笑み、「新しい神が現れたら、わたしたちも黙るしかない」と言う。バッカスとアリアドネ、洞窟の中に消え、幕となる。

■付記

 劇中登場する作曲家は音楽の神聖性を信じ、その純化を目指すが、それは畢竟、自尊から発するもので極私的なものに過ぎない。であるからこそ、ツェルビネッタに少し言い寄られただけでそのロマンティックな志向はぐらつく。最終的にツェルビネッタはハルレキンと契合し、そしてアリアドネはバッカスと契合する。オペラのラストシーンにおいて、形式的には作曲家の思惑通りにことは運ぶが、果たしてそれは作曲家が天駆ける純粋さで志向した〈神聖な〉結末なのかどうか。ツェルビネッタがいうように、たんに「新しい神」すなわち魅力的な相手が現れたからこその愛の昇華なのではないか。
 名手ホーフマンスタールはそんな後味を残す台本を書き、そしてリヒャルト・シュトラウスはそれに、時代に逆行するかのような純度の高い音楽をつけた。最終的には「これでいいのだ」と言わんばかりである。
 実に二人して「老獪な」作家である。

 一見純愛の代表のように見えるアリアドネと、まさに「浮気な」ツェルビネッタとの対比、オペラ・セリアとオペラ・ブッファの混合、そして現代劇と神話劇の相剋、20世紀型の管弦楽技法とコンチェルタンテ様式の混淆、音楽芸術の神聖性と世俗性の対立。それらが相混じりながら、あくまでも音楽は室内楽的に純化された響きとして明晰に鳴る。実験的要素と試行的要素が強い楽曲だが、それにしても聴いて得られる印象は多様である。
 また、沿革的にいえば、《薔薇の騎士》では巨大化したロココ調のワルツ・オペラ・ブッファに回帰したシュトラウスだが、この《ナクソス島のアリアドネ》では、よりモーツァルト的なジングシュピールを志向したということがいえよう。

(up: 2015.1.27)
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