コンテンツ > 音楽 > 作曲家 > ヴェルディ > ナブッコ | |||||||||||||||||||||
シノーポリ指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団による演奏。ナブッコをカプッチッリ、イズマエーレをドミンゴ、ザッカリアをネステレンコ、アビガイッレをディミトローヴァ、フェネーナをテッラーニが歌う。強靭な推進力を感じる名演で、浮気性の私だが《ナブッコ》の録音は正直これだけでいい。逆に言えばいろいろ聴いたが他の録音は若書きの勢いみたいなものが出てないか、上滑りして若書きの浅さだけ見えるものばかりである。シノーポリ盤は序曲から凄まじい前進力で、そのまま一気に聴き終わってしまう。いつもはキンキン鳴るばっかりのベルリン・ドイツ管から極めて有機的な響きを引っ張りだすことに成功している。もしシノーポリがこの盤だけ残して死んだとしたら、ホーレンシュタインのマーラー第3番みたいに超有名盤になってたんじゃあるまいか。いたずらに録音を量産したばかりに真価が見づらい指揮者になってしまった。とにかくこの盤は本当に素晴らしい。 【参考】 書籍だが、今回結構引用した藤沢道郎『物語 イタリアの歴史』(中公新書)。イタリア史の碩学が、情報量をできるだけ入れながら総量を削りに削って新書版にしている紀伝体の歴史書。この薄さにしてとてつもない情報量。そして何より、無味無臭の歴史モノではなく、あくまでも熱い血潮もてる「人間の物語」がぎっちり収められている。いいものが多い中公新書の「物語」シリーズのなかでも出色の出来である。 |
▽ Giuseppe Verdi
■作曲 1841年 ■初演 1842.3.9 ミラノ・スカラ座 指揮による ■台本 テミストクレ・ソレーラによる ■言語 イタリア語 ■時代 紀元前6世紀 ■場所 古代バビロニア |
||||||||||||||||||||
《楽器編成》
|
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
■概要 今、「ヴェルディ」といえばまずイタリア・オペラの大家、ファンも山ほど居り、彼が作った旋律はオペラ好きの口の端にいつも上る。彼が作った曲を錚々たる世紀の名歌手がこれまで何十人となく歌い、録音し、舞台にかけ、愛し続けている。そういう作曲家である。 しかし彼ヴェルディがこの《ナブッコ》を作曲した頃、まだ彼は田舎からミラノに出てきた、気鋭の作曲家ではあるが無名であり、貧乏であり、幸福とはいいがたい男であった。代表作と呼べるものはまだ勿論ない。1836年5月4日、23歳の彼は自分のレッスン生でもあったマルゲリータ・バレッツィという実業家の令嬢と結婚し、一女一男を授かるが、1838年に娘が、1839年に息子が相次いで死に、そして悲嘆に暮れた哀れなマルゲリータ自身も1840年に脳膜炎でこの世を去ってしまう。 前後して、ヴェルディが2年をかけて作曲に全力を尽くした処女作オペラ《サン・ボニファツィオ伯オベルト》も外れではなかったがそんなに大きく当たることもなかった。《オベルト》のおかげで、ミラノの興行主でミラノ音楽実業界の実力者バルトロメオ・メレッリとつながりはできたが、そのメレッリは8ヶ月で3本の注文を、しかもこの妻子を亡くして間もない若者に喜劇を書けといってきた。ヴェルディは塞ぎこんでしまう。 ミラノで暗い日々を送っていたヴェルディは、ある霧の深い日、街頭でばったりメレッリと出くわした。…頼んでおいたオペラはどうなった、もう締切だよ。何とかごまかして逃げようとする作曲家のポケットに、大プロデューサーは一束の原稿を押し込んだ。それを読んで、よかったら曲をつけてみてくれないか。歌劇の台本らしかった。(藤沢道郎『物語 イタリアの歴史』p.306)これなん、彼の人生を決める《ナブッコ》の台本である。 この日のことをヴェルディはのちにこう回想している。「家路を急ぎながら私は、名状しがたい不運を背負い込んだように感じた。鋭い悲しみと息の詰まりそうな苦しみで、私の心は破裂しそうになっていた。家に戻ると、私は大きく腕を振ってその原稿を机に叩きつけた。その勢いで、綴じていた原稿が開いた。なぜか私の目には、そこに偶然開いたページの詩句が焼き付いた。そこには『行け、思いよ、黄金の翼に乗って』と書かれていたのだ。」途端に彼の胸に楽想が溢れ出した。時はドニゼッティやロッシーニの全盛期、イタリア・オペラは軽く瀟洒な味わいの作品ばかりがもてはやされている。そんな中、ヴェルディは時代に逆行するような、全身全霊・思いの丈を見せつけるような直球を投げ込む。台本から序曲から伴奏からアリアまで情熱の塊、火の玉のような壮大なオペラ《ナブッコ》である。 1842年3月9日、このオペラは初演の舞台を迎えた。 聴衆は最初度肝を抜かれ、続いて舞台に引き込まれた。力強いコーラスと情熱に燃えるアリアが客席の昂奮をいやが上にも盛り上げ、祖国を奪われたユダヤの民の嘆きと怒りがそのままイタリアの現状に重なる。『ナブッコ』こそ、なべてイタリア人の心の底にわだかまる民族感情を、一挙に燃え上がらせる「火花」であった。(上同、p.308)当時イタリアは、ナポレオン支配から脱したはいいものの、以前の都市国家の集合体に戻る斥力と、イタリアとして統一国家を形成しようとする求心力が拮抗し、政治的な混乱を呈していた。 第三幕第2景の幕があがるとそこはユウフラテス河畔、鎖に繋がれて強制労働させられているユダヤ人の群が湖国を偲んで、「行け、思いよ、黄金の翼に乗って」と合唱を始めると、客席の興奮は最高潮に達した。そしてこの初演には、当代きってのオペラ作曲家、ドニゼッティも来ており、この大作曲家もまた、《ナブッコ》を聴いて稲妻に撃たれたようになった一人である。 …「天才だ」という言葉が茫然自失に近い状態のドニゼッティの口をついて出るのを、友人たちは聞いている。「この『ナブッコ』という作品は、何という作品だろう。素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい!」と、翌日ボローニャへ向かう郵便馬車の中でドニゼッティが繰り返し大声で言うのを、同乗の旅行者たちは耳にしている。(ハンス・キューナー『大作曲家 ヴェルディ』p.34) なお、「ナブッコ」というのは日本語でいうところのネブカドネザル。エレミア書他、旧約聖書にその記載がある。 ■内容 序曲 しばしば単独でも奏される名曲。 序奏はアンダンテ・マエストーソでイ長調、主部はアレグロでニ短調。若書きらしい、実に力強い曲。旋律素材は劇中のものからとられており、最も有名な「行け、黄金の翼に乗って」の旋律も登場する。 第1幕 イェルサレム。ソロモンの神殿。 ヘブライ人たちが、バビロニアが攻めてきたと浮き足立っている。それらはホ短調の合唱で現され、幕開けから緊張感がみなぎる。祭司長ザッカリアは、バビロニア王ナブッコの娘フェネーナを人質にとっているので安心するように皆に呼びかける。イスマエーレが登場し、敵軍現るの一報をもたらす。一方ここで、イスマエーレが以前ユダの使者としてバビロニアに行き、囚われの身となったときにフェネーナが救い出してくれたこと、またその頃から心惹かれていることを語る。「貴女のために自由への道を拓きたい」と述べ、フェネーナを秘密通路から逃がそうと企てる。ここでアビガイッレ登場。出囃子から物凄い勢いで歌う。彼女はバビロニアの親衛隊を率いている。アビガイッレは、私はイスマエーレを愛しているのだ、自分の気持ちを受け入れてくれればアビガイッレとあなたの民を助けると迫る。むげに拒絶するイスマエーレ。ハ長調で三重唱が歌われるが、優美な歌のフェネーナと激情的な旋律のアビガイッレで対照的な性格の重唱である。一方、ヘブライ人たちとアンナは、バビロニアが来ることを恐れる。ト短調で劇的な合唱が行われる。やがて、アビガイッレと舞台裏の合唱が「ナブッコ、万歳」の声を上げる。ナブッコは馬に乗ったままやってくる。ザッカリアは人質フェネーナをとりあげて、神殿を汚すようならばフェネーナの命はないと思えと凄む。ところが味方であるはずのイスマエーレはザッカリアの短剣を奪う。イスラエルの人々はイスマエーレに対する不信を口々に言う。 第2幕 第1場 バビロニア王宮内。 猛女アビガイッレは古文書を見つけ、自分が奴隷の娘であるということを知る。ということは王位継承権がない。同時にナブッコが王位をフェネーナに譲ろうとしていることも知り、怒りに震える。怒りの余り、クーデター計画をもってきた大司教たちに同意する。 第2場 バビロニア王宮内、別の広間。ザッカリア、囚われの身になっており、ユダヤの神に祈っている。ザッカリアが去ったのちにイスマエーレが現れる。第1幕の最後にザッカリアの短剣を奪ったことで、ヘブライ人たちにまたも責められる。アンナは許しを乞う。外が騒がしいことにフェネーナが気づいた時、老臣アブダッロが現れ、アビガイッレのクーデターと、群衆が王ナブッコの死を求めていることを伝える。アビガイッレが現れ、フェネーナと王位に関して争っているうちに当のナブッコが登場、バビロニアの神からバビロンの神まで当たるを構わず侮辱し、「私こそ王ではなくて神だ!」と宣言するが早いか、稲妻に撃たれて倒れる。ザッカリアが「天が驕れる者を倒したのだ」の述べる。 第3幕 第1場 バビロニア。空中庭園。 既にアビガイッレが王座につく。バビロニアの民衆がアッシリアを讃える歌を合唱する。アビガイッレは、すでに精神錯乱に陥ったナブッコを籠絡し、ユダヤ人皆殺しの命令に署名をさせる。一度は署名したナブッコだが、その名簿のなかにフェネーナが入っていることに最初は気づかない。錯乱と正常化の境界をふらつくナブッコだが、やがてそのことに気付き「娘を奪わないでくれ!」と哀願し、また怒り狂う。またナブッコはアビガイッレの出自をなじり、その証拠の古文書を探るが、既に手に入れていたアビガイッレによって取り出され、千々に破り捨てる。増長の極みアビガイッレはナブッコを逮捕させる。 第2場 バビロニアのユウフラテス河畔。捕囚ヘブライ人たちが、祖国へのあこがれを歌う。嬰ヘ長調、ラルゴ・カンタービレ、「行け、思いよ、黄金の翼に乗って」である。最初はソット・ヴォーチェで出るが次第に力を増す。それに応え、ザッカリアが「恥辱の鎖は断ち切られる」と皆を励ます。ザッカリアの先導で始まっった歌もまた、雄大さを増していき、第3幕のフィナーレとなる。 第4幕 第1場 王宮内の部屋。 ナブッコは目が覚め、自分が幽閉されていることを知る。また窓の外からは葬送行進曲が聞こえ、フェネーナが刑場に連れられていくのを知る。民衆が「フェネーナは死刑だ!」と告げている。ナブッコは絶望し、ヘブライの神に許しを乞う。既に彼は正気に戻っているのである。老臣アブダッロが現れるが、ナブッコは「私の頭はもう狂っていない」と断言する。喜んだアブダッロ、ナブッコを励まし、「王座につくために、さあ、これです」と剣を渡す。ナブッコは勇壮な変イ長調のアレグロで「私の勇敢な兵士たちよ、ついてこい」と歌う。 第2場 空中庭園。今まさにヘブライ人たちが処刑されようとしている。ナブッコが現れ、ベル神(偶像)の破壊を命令する。自然に偶像は壊れてしまう。アンナ、フェネーナ、イスマエーレ、アブダッロ他は「神聖な奇蹟だ」とおそれ驚く。ザッカリアはエホヴァ神を称え、アビガイッレはフェネーナに許しを請いながら死んでゆく。ザッカリアはナブッコに「エホヴァに仕えるあなたは、王の中の王であるだろう」と述べる。 ■付記 若書きゆえの、情熱むき出しのオペラ。わたしは勝手に、彼ヴェルディにとっての《エロイカ》なのだろうと思っている。 なお、別立ての小規模アンサンブル「バンダ」が大変効果的に使われている。 (up: 2015.1.1) |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
> 作曲家一覧へ戻る | |||||||||||||||||||||
|