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ベームというと「構築美」である。ブラームスもやはり構成の見事さを示す作曲家であるところ、本来であれば最高の相性を示すはずだが、その実両者の方向性が重なり過ぎ、窮屈な演奏が多い。但し、当盤のみは別である。スタジオ録音、冒頭からやや弛緩したような演奏を見せるVPOだが、289小節つまり再現部のしっぽのあたりから何が起こったか突然の緊張感を示す。そのままテンションが上がり続け、まるでライヴのような高揚感のなか、第1楽章を終わってしまう。通しで聴くならば、その高揚そのままに最後まで聴けてしまうだろう。第2楽章の円熟、第4楽章の立体的構成表現、いずれもベームらしい仕事で、見事の一言につきる。




新進気鋭ケルテスがVPOに挑んだ録音。有名な「ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界》」録音のようなケルテスの強い個性はここには見られない。むしろVPOの録音にありがちだが、指揮者が纏め切れていない自由度が逆におもしろい。少なくともオケが自由に呼吸している。このような「放し飼い感覚」が味わえるのも、やはり指揮者のひとつの力量だろう。恐らくこの時期に使われていたSofiensaarの残響の美しさも相俟って、大いに聴かせる4番になっている。




ミスター・ロマンティックともいうべきバルビローリの、VPOと組んだブラームス。全曲出ているが、2,3,4とどれも絶品。……ということは交響曲第2番の処でも語ったが、交響曲全曲のなかでも最も出来がよいのが第4番だ。楽譜には忠実に、しかし徹底的に感情移入して、泣く、泣く。第1楽章冒頭主題、実はぬっぺりしたものではなくてアクセントがあるのだが、それが瞭然分かる演奏でもある。




上記バルビローリの演奏を「泣く」第4番としたならば、こちらは「歌う」第4番。双方ともスローテンポだが、表現はこれだけ違う。緊張感は半端ではなく、構築的でありながら些かも息苦しくない。聴き終えた後の心の沈潜度合いは非常に大きい。ブラームスの、ジュリーニの、VPOの凄さが全て分かる演奏。




カルロス・クライバー、死因は自殺ともいわれる。最後は鬱病のような状態で苦しんでいたともいわれる。彼が最後のドライヴで、愛車AudiのCDプレイヤーに入れていた盤がこの自分の演奏した第4番であったといわれる。快速で、自在の呼吸がありながら、実に鋭い構築感を感じさせる。白眉は第3楽章。この楽章の鬱屈感をクライバー以上に表現し得た指揮者は居まい。




特に意識することなくわたしが愛聴する盤を揃えたが、期せずしてすべてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏になったのは面白い。やはり他の楽曲はともかく、ブラームスやシューベルトのような「縁ある作曲家」には本気度が違うのだろうか?

 ▽ Johannes Brahms
Symphony No.4 in e-moll op.98
  交響曲第4番 ホ短調 作品98


■作曲 1884-85年
■初演 1885.10.25 マイニンゲン宮廷劇場
      ブラームス指揮 マイニンゲン宮廷管弦楽団による



ブラームス 交響曲第4番全曲

Maazel / Bayerische Rundfunk SO
全く面白くないマゼールのブラームス。こういうのを聴くのも大事だ。でもナンデここまで面白くないんだろ?

《楽器編成》
Fr. 2 Ob. 2 Cl. 2 Fg. 2
Hr. 4 Tromp. 2 Trb. 3 Tuba Tim. 2
1st Violin 2nd Violin Viola Cello C.bass


■概要

 「ブラームスのエロイカ」と呼称された第3交響曲が生まれた頃、それはブラームス派とワグナー派の対立が激化した時代だった。

 1883年夏、第3交響曲をほぼ一気に書き下ろし、既に作曲の大家と見なされていたブラームスは、1884年6月頃、ウィーン西南部のミュルツツーシュラークに避暑の為に落ち着いていた。ブラームス最後の交響曲たる交響曲第4番は、その地において書かれ始める。彼はこの夏に第1、第2楽章を完成し、翌年同地において第3、第4楽章を完成させた。
 交響曲第1番を作る際には40年もの年月を草稿に費やしたブラームスだが、交響曲第2、第3は比較的速筆で、ひと夏の間に書き進めた。しかしながら彼は第4交響曲を作曲するにおいて、再び第1交響曲の作曲時のような、入念にじりじりと筆を進めるという形をとった。冒頭に述べた派閥の対立によって、ブラームスの曲はワグナー一派から猛烈な非難にさらされていた。ブラームスが次の大交響曲に着手するにあたり、常ならざる闘志をもって作曲を進めたのは想像に難くない。第4交響曲作曲において見られる遅筆は、余人に有無を言わせぬような大作を作るのだという闘志によるものでもあろう。そういうこともあり、当交響曲は余り前進的ではなく、各動機の配置は熟考され、各要素が凝縮し煮詰まったたような響き(それは第4楽章において最も明らかになるだろう)を示している。ブラームスのセンチメンタリズムについて来られない人が4番を敬遠する理由は実にこの辺りにあるのであろう。

 ブラームスの音楽は常に故きを懐に抱いている。それは作曲についてもいえようし、個人的なものについてもいえよう。前者については、第4楽章にパッサカリアというバロックの手法を用いたことで了解され、後者については、全楽章を通底し特に第1・第2楽章に顕著である、寂寞に満ちた郷愁的楽想を見ることで了解される。

 ブラームス交響曲のトリを務める第4交響曲。それは50歳に達したブラームスが、その音楽的特徴を十全に発揮したというにふさわしい傑作である。

■内容

 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ。ソナタ形式で構成されている。序奏をおかずに登場する弱音指定の第1主題が、この楽曲全体の性格を暗示している。このヴァイオリンに登場する翳りに溢れた美しい主題は、dolce(柔らかく)指定の木管を率いてどこまでも寂しい。しかもこれらは次に示すように、考え抜かれた見事な構造である。まず主音E(ホ)のドミナント(属音)H(ロ)から始まって、H(ロ)-G(ソ)、E(ホ)-C(ハ)、A(イ)-F#(ファ#)、D#(ニ#)-B(ロ)と六度六度で構成されている。このような構成でありながら、しかも四角四面は全く感じさせない。精妙というほかない。この主題は滑らかな膨張を伴いながら繰り返され、クレシェンド指定で大きく拡がってゆく。33小節、39小節にあらわれる、2拍目にずらされたアクセントは、この楽曲に繰り返し現れる。これは拍節感をずらす、いわゆるシンコペーション的な方向に働くうえ、1拍目に溜まった力をどんと吐き出すような、強い印象を与える。45小節目でも同じく2拍目にアクセントのある下降音型が出るが、ここからト長調に転調し、伸びやかな曲想をみせる。すぐ後の53小節目からホ長調に転調し、スタッカートつきで木管に現れる、飛び跳ねるような主題は第2主題である。この主題はブラームスの「運命」主題ではなかろうか。運命に直面した彼の心は、ロマンティッシェに、また物寂しく、たゆたい、そして歌う(57小節〜)。再び第2主題があらわれた後、ヴァイオリンのピッツィカートで第1主題の断片が出て、小結尾に入ったことを示す。110小節に第2主題の断片が、仄やかに出る。運命の足音のようである。三連符による運命断片は次第に巨大になってゆき、いちど鎮まる。第1主題がホ短調で再示され、展開部に入ったことを示す(143小節)。第1主題と第2主題が絡み合うように進むが、168小節からの、第1主題を基礎としたユニゾンが突然、拍節をずらす木管によってフーガ的になる部分は実にすばらしい。188小節から、また第2主題の断片が木管に現れ、先に登場した三連符による運命断片が一瞬盛り上がりかける(この旋律片は後に重要な役割を与えられる)。ピッツィカートの弦合奏およびdolce(柔らかく)指定の木管によって蕭々と奏される第1主題前半断片。そして、各楽器によって静かに受け渡される第1主題後半断片。空気の流れを感じさせるような弦旋律の上下降があって、第1主題が戻って来、再現部となる(258小節〜)。従前の流れだが、286小節から毛色が変わる。緊張感溢れる弦合奏の上昇強奏があり、やはり緊張感を伴った第2「運命」主題が登場する。弦がやはり厳しい表情で歌う。運命主題は再び現れる。ホルンによって支えられ、一度鎮まりかけるが、すぐに強い表情に変わり、これは弦にも受け渡されて次々と力を得てゆく。ここで旋律は三連符による運命断片がまた登場し、劇的に第2主題を下支えする。332小節において、遂にヴァイオリンが強烈な上昇音型を示し、結尾部に入ったことを示す。ここで登場する第1主題は、半ばむきになったかのようにさえ思われる攻撃性を示す。主音とドミナント和音を繰り返し(E-H-E-H)、ホ短調の和音を叩き込んで劇的に終わる。

 第2楽章 アンダンテ・モデラート 8分の6拍子。フリギア調で、ホルンが基本音型を鳴らし、それに木管がついてゆく序奏的な部分を経て、弦のピッツィカートで第1主題が出る。36小節から三連符による形式張った旋律が登場するが、じきチェロによる柔和な第2主題が現れる。第2主題は対位法により構成されていて、傷心を包んでどこまでも優しい。やがて再現部となり、力を得て曲想は大きく膨らんでゆく。第2主題があらわれ、木管がそれを受け継いでから、第1主題を基本とした流れとなり、静かに楽章を終える。

 第3楽章 アレグロ・ジョコーソ ハ長調 4分の2拍子。冒頭から現れる、この第1主題の鬱屈さといえば相当のものである。音価が倍・倍になる構成(8分音符→4分音符→2分音符; タタタタ・タンタン・タタタタ・タンタン……ダー)は、絶えず前のめりで、しかも常にブレーキを掛けているように聞こえる。53小節に現れるト長調の旋律は第2主題で、冒頭の主題と比較するとややもすればリラックスしているように聞かれるが、音価に注目してみると、8分音符の構成は全く同じであり、アクセントも殆ど変わらない。主題間の連関性を示している。

 第4楽章 アレグロ・エネルジーコ・エ・パッショナート ホ短調 4分の3拍子 パッサカリア。パッサカリアとは、同じ旋律を低音で繰り返しながら主題を変奏してゆくという変奏曲の一つ。しかも変奏曲でありながら、かなり意識的にソナタ形式風の構成をとっている。まず、第1変奏から第11変奏までは一貫して弦中心の構成をとっており、ソナタ形式でいう提示部を構成している。曲の冒頭は序奏部ともいうべきで、金管を中心に低音旋律(以下「低旋律」)が、極めて明確な形で強奏される。すぐに第1変奏、低旋律は弦合奏のピッツィカートで出る。続いて第2変奏、ヴィオラとチェロに出る。第3変奏はヴァイオリン、第4変奏はコントラバスに、それぞれ低旋律が出るが、第4変奏のヴァイオリンに、低旋律をベースとした流美で印象深い旋律が登場する。第5、第6変奏ともに低旋律は低弦に出るが、低旋律自体は次第に崩れゆくように曲想にとけ込んでゆき、第4変奏でヴァイオリンに出た流れるような旋律が展開してゆく体で表現される。第7変奏となると、全ての旋律が跳ねるようなリズムを持ち、どれが明確な低旋律を保持しているのか分からない体となる。第8変奏は風雲急を告げる切分音で構成された旋律、第9変奏は急速に駆け上がる6連符で始まる緊張感溢れる旋律である。第10変奏で曲想はひとまず静まり、第11変奏は3連符で構成された、どこか第1楽章の第2主題「運命断片」を彷彿とさせるような、やはり静謐な旋律である。続いて第12変奏からは2分の3拍子となり、速度が急速にゆるやかになる。ソナタ形式でいう展開部にあたる(第23変奏まで)。エスプレッシーヴォ指定のフルートの一人舞台であり、柔らかでひかえめな弦合奏の伴奏を従え、憧憬と諦念の入り交じったような、センチメンタルな旋律を奏する。第13変奏はホ長調、クラリネット中心にやや暖かみが生まれ、第14変奏で、ホルンの三重奏を中心に、光が差してくるような音色の交替がある。第15変奏では、更なる厚みが生まれる。第16変奏、4分の3拍子、テンポはもとに戻る。調性もホ短調に戻り、序奏部のような木管・金管の低旋律合奏が始まるが、すぐに弦が鋭い合奏で下降音型を示す。17変奏は、弦がトレモロで低旋律を奏する中、木管が逍遙するように控えめに主題を示す。第18変奏は不穏なホルンが印象深い旋律。第19変奏は、スタッカートを伴う、弦と木管の対話。第20変奏となると、弦の3連符により、よりテンポ感・切迫感が高揚してゆく。第22変奏は再び静かな曲想。雫が落ちるようなささやき。第23変奏は再び3連符を用い、弦が鋭く上昇する音型を作り、木管がそれを保持して高揚する。第24変奏に至り、低旋律は金管に預けられ、最強奏によって存在感を再び明らかにする。ソナタ形式でいう再現部のようである。続いて第25変奏、これは201小節から始まるが、200小節から先行する強い弦のトレモロを伴った木金管の3連符が、低旋律を受け継ぐ。第26変奏、また曲想は静かなものに変わり、主題は忍び足のような3連符の弦によって奏される。第27変奏はすべてがドルチェ(柔らかく)指定、速度自体は急速ではあるものの、木管に出る2分音符の行き来は、波の往来を見るような静けさがある。第28変奏は、先の木管に出た旋律がやや細分化されて、同じような調べで現れる。第29変奏、ピッツィカートの弦合奏を伴い、木管の旋律が控えめながら上昇してゆくような音型を描く。第30変奏、弦が強い意志を伴って下降音型を示す。全合奏で盛り上がり、リタルダンドがかかるに至って緊張感は最高潮に達する。253小節からは、第31変奏ともいえるし、ソナタ形式でいう明らかな結尾部である。冒頭序奏のように金管・木管が強靱に低旋律を示すが、冒頭と違い弦合奏による強情な急速下降音型を伴っている。続いて劇的に上下降する弦合奏を伴い、付点2分音符つまり小節線いっぱいに木管とホルンが低旋律を示す。273小節にてトロンボーンが順音上昇をすると最終旋律に入ったことが知れる。ヴァイオリンが舞曲のような雰囲気を醸すなか、トロンボーンの音型を木管全合奏が模倣、すぐに弦が低旋律断片を強く出す。繰り返されたのち、跳ね上がるような旋律を示しながら、緊張感をみなぎらせながら余韻なく劇的に楽曲を閉じる。

■蛇足

 極めて意志的な構成をとりながら、しかも紛う方なきブラームス節を示したこの楽曲、ブラームスの最高傑作の一つと認めるにやぶさかではない。特に第4楽章。緯糸(たていと)としてのパッサカリア形式、経糸(よこいと)としてのソナタ形式、それらが交差したところに、ブラームスのパッサカリアがあることを余すところなく示したすばらしい楽節である。

(up: 2009.7.22)
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