コンテンツ > 音楽 > 作曲家 > ブルックナー > 交響曲第5番 | ||||||||||||||||||||||||||
ハイティンクとVPOの演奏。本当にすばらしいブルックナー。奇を衒う部分は少しもなく、ただただ、誠実に楽譜を音化していく手法は実に素晴らしい。VPOも《らしい音色》で指揮者を全面的にサポート。個人的にはハイティンクのベストに挙げたい名演。 わたしには怖い演奏が二つあって、ひとつはクナッパーツブッシュ指揮BPOのブラームス第3番、もうひとつは同じくクナのこのブルックナー5番である。冒頭からとんでもなく恐ろしい音がする。しかも楽譜が改悪シャルク版、ところどころ歯抜けのように鳴るオケがまた怖い。時々巨大な顔のお化けが出るお化け屋敷のようだ。名演というよりは、恐演。 朝比奈は名門シカゴ響に招かれた際、まずはブルックナー第8番を希望した。当時音楽監督のバレンボイムが既に演奏する予定だったので、次善として選択したのが当該第5番である。それくらい朝比奈にとって得意かつ好みの曲でもあり、この盤でも堂々とかつ悠然と演奏している。特に東京交響楽団が、その洗練された音色を生かしつつ、集中して朝比奈についていっている。晩年の朝比奈第5のなかでも出色の出来といえよう。わたしは大好きだ。 |
▽ Anton Bruckner
■作曲 1875年2月〜1876年5月、1877年5月〜1878年1月 ■初演 (全曲版 [シャルク改訂版] )1894.4.9 グラーツ フランツ・シャルク指揮 グラーツ市立公園劇場管弦楽団による |
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《楽器編成》
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■概要 1894年、ブルックナーの第5交響曲の初演が、フランツ・シャルクの指揮によって行われ、大成功をおさめた。指揮者シャルクは演奏後、師でもあるブルックナーに対する手紙で「この演奏会の夕べは、わたしがこれまでに関わることのできた最も素晴らしい出来事のひとつとして、わたしの生涯を通じて記念となってゆくことでしょう」と書いている。批評家のひとりは「今シーズンの最も重要な音楽的出来事のひとつ」と述べた。ようやく、といっていいだろう。長大で誠実で独創的な交響曲を書く「今世紀最大の交響曲作家のひとり」は、齢60を大幅に過ぎてのち、ようやく評価されるようになったといっていいだろう。1894年、ブルックナーは実に70歳、彼が没する、たった二年前である。 第5交響曲は、第3交響曲の初演が行われた1877年には既に完成している。初演までじつに15年以上の歳月を必要としたところだけを鑑みても、ブルックナーが当時どのような扱いを受けていたかということが諒解される。 交響曲第5番は1875年初頭に、アダージョ楽章から書き始められるが、それに先だつ74年11月、彼は交響曲第4番を完成させている(1874年稿)。ブルックナーは、俗受けを狙って(もっと正確にいうならば、周囲のアドヴァイスを容易に受け入れて)作品の点検と改訂を繰り返す癖があるのだが、この第5番も例外ではない。第5番は1876年5月に一応の完成をみるが、次の年の同月から彼は同作品の点検を開始し、翌年1月に改訂版を完成させた。 ウィーンに生活しつつ創作活動にはげんでいた当時、彼はウィーン音楽院の教授であり、同時に教員養成学校の助教員でもあったわけだが、1874年秋に、ポストの閉鎖により教員養成学校を馘首されている。翌75年には念願のウィーン大学の教員として採用されるが、このポストは無給であった。1876年に第5番が完成した後、幾度もの演奏拒否禍をのりこえてようやく1877年に交響曲第3番が初演されるが、非常な不成功に終わり、彼を大いに落胆させた。 これにみられるように、交響曲第5が成立した頃のブルックナーをとりまく環境は全く芳しいものではない。ただし、それら「生涯にわたる多くの不幸」を、ブルックナーが楽曲に盛り込んだ形跡はない。たとえば『ブルックナー』を書いた根岸一美はこの第5交響曲第2楽章の旋律を「オーボエの哀しそうな旋律は、当時の心情をあらわしているかのようである」と述べるが、わたしはそうは思わぬ。極私的な環境にかかわらず、彼は常に神に作品を捧げている。このアダージョもまた、「私的な悲しさ」などとはメタレヴェルにある、実に透徹した彼らしい旋律であるように思われてならない。 数字としての第5交響曲を考えると、ベートーヴェンの第5を筆頭として作曲家壮年期のエナジーを爆発させたかのような強烈かつ個性むき出しの曲が多い。マーラーもチャイコフスキーもそうだし、後年のショスタコーヴィチの同曲もそうである。シューベルトの第5は強烈ではないが、作曲家の体臭が「未完成交響曲」についでぎっちり詰まっている。ブルックナー自身も、「ブルックナーの第5」の名に恥じぬ雄大で鋭利な圭角をもつ第5を完成させた。 ■内容 第1楽章 アダージョ 変ロ長調。2分の2拍子 - アレグロ。まず低弦がピッツィカートによって逍遙する。しばらく主音の周囲を徘徊したのち、突然主調でファンファーレが鳴る。同じような旋律が繰り返されたのち、弦にてアレグロで主題が出る。剛直でかつ偏屈な主題で、このアレグロ主題は楽章を通じ繰り返し巻き返し現れる。変ニ長調に転調してひとしきり鳴ったのち、弦ピッツィカートの合奏にて黙想するような第2主題があらわれる。楽想はいっとき展開を見せるが、ふたたび第2主題が登場し、続いて管楽器を中心として、なだらかに上下降する第3主題があらわれる。音楽は次第に膨らみ、やはり偏屈な爆発を見せるが、やがて静まり、提示部の終わりを迎える。展開部はフルートとホルンが掛け合う形で始まり、冒頭導入部のような表情を見せる。第1主題が繰り返し現れる。金管の斉奏が鳴り、再現部が現れる。冒頭からの楽想が現れるが、各主題がいちじるしく短縮されており、ゆるやかな旋律を一度聴いているだけに緊迫感は非常なものがある。コーダは第1主題がファンファーレのように何度も再現され、輝かしいままに楽章を閉じる。 第2楽章 アダージョ ニ短調。2分の2拍子。冒頭ピッツィカートにて開始の予告がなされ、やがて弦の三連符に乗ったオーボエの孤独感をたたえた旋律があらわれる。上に乗っかっているオーボエは2拍子系の動きだが、下支えは三連符であるため、複合リズムのような旋律となっている。弦を主体に奏される経過句もまたポリリズム的だが、それは全く洗練されたものではなく、ブルックナーらしいぎくしゃくしたものである。続いて弦五部合奏で現れる2拍子系の厚い旋律が第2主題であり、その暖かな厚みを現前とすると、大きな河が流れてゆくような印象を受ける。 第3楽章 スケルツォ モルト・ヴィヴァーチェ ニ短調 4分の3拍子 − トリオ 同じ速さで 4分の2拍子。第2楽章冒頭のピッツィカートが速度を倍加されて現れ、同じく相似た第1主題旋律が木管によって上乗せされる。一瞬爆発して、すぐに第2主題が登場する。第2主題は象が踊っているような、ぎくしゃくした舞曲風の曲調である。トリオはホルンで始まり、軽やかな音型をフルート、オーボエ、クラリネットが奏する。 第4楽章 フィナーレ アダージョ 変ロ長調 2分の2拍子。第1楽章と同じ、ピッツィカートで始まるが、クラリネットが違う音型を一瞬出す。すぐ第1主題が現れるが、再び止まり、オーボエとピッツィカートによる第2楽章の再現、再びクラリネットによる導入から低弦によるフーガ主題が登場する。第2主題は、中低弦がピッツィカートで支えている上をヴァイオリンが走るような、第1主題とは似ても似つかぬ軽快なもの。飛び跳ねるような経過があるが、やがて全合奏により、激しく第3主題が登場する。提示部が閉じんとしている時に、突然金管楽器によるコラールが始まる。清澄な弦によって繰り返され、再び金管によるコラール。展開部は、先に出たコラール主題をフーガ主題として開始される。楽想は展開され、精緻に構成された、複雑な二重フーガの形成がある。フーガ主題と、第1主題変形が絡み合って進む。主題再現部、第1主題および第2主題については簡単に触れられるが、第3主題においては重厚な金管のバックアップを得て大きな流れとなる。コーダでは第1楽章の第1主題をはじめとした各主題があらわれ、曲想を盛り上げていく。最終的には第3主題+第1楽章の第1主題によって構成された森厳なるコラールが雄大に鳴り、宇宙が鳴動するような音楽を、ついに閉じる。 ■蛇足 第5らしい第5。 (up: 2009.4.1) |
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