オススメというか、知る限りまだこの世界初録音の初演ライブCDしか知らんのだけども、デジタル録音でかつバスドラムの音が明敏に入っているのでとてもいい。サロネンもタコさんのスコアを、音圧の変化を重要視しつつ丁寧に音化している。




ORANGO (Unfinished)
  風刺歌劇《オランゴ》(未完)


■作曲 1932年
■初演 2011.12.2 ロサンゼルス (ジェラルド・マクバーニーによる管弦楽編曲版)
      エサ=ペッカ・サロネン指揮ロス・フィルによる
■台本 アレクセイ・トルストイとアレクサンドル・スタルチャコフによる
■言語 ロシア語
■時代 20世紀初頭
■場所 モスクワ

《楽器編成》
Picc., Fr. 2 Ob. 2 E.Hr.,KCl. Cl. 2 Fg. 2, CtrFg.1
Hr. 6 Tromp. 3 Tromb. 3 Tuba Tim.
1st Violin 16 2nd Violin 14 Viola 12 Cello 12 C.bass 10
Symbal Tamb. Tamtam Triangle Celesta
Bass drum Side drum
※楽譜がないので、楽器編成は《ボルト》の編成を元に演奏から予想した

《おもな登場人物》
狂言廻し (バス) 司会進行役。バスなのに軽々しい。
群衆の一人 (バス) 抒情詩的台詞を冒頭に与えられている。
動物学者 (テノール) オランゴと一緒に出てきてオランゴの解説をする。
オランゴ (バリトン) 人と猿の合いの子。第一次大戦で兵士として大活躍し、のちパリで一躍世界的新聞王となるが、裏切られてソヴィエトのサーカスに売られ、今に至るという悲しい猿人間。
スザンナ (ソプラノ) 観衆の一人。オランゴに襲われる。当時米で流行した映画《キングコング》の美女アンナのオマージュだという説がある。
ポール・マシュ (テノール) ジャーナリスト。劇中オランゴの師匠だと自己紹介するので、オランゴが新聞王になるときの足がかりの人かもしらん。
アルマン・フレリ (テノール) 発生学者。この編曲版においては殆ど出番がないので何やらわからない。
ルネ (アルト) 発生学者の娘。オランゴとは義理の兄弟(もしくは異母兄妹)であると自己紹介する。


■概要

 1932年、モスクワ・ボリショイ劇場では秋に「十月革命」の15周年祝典を予定しており、式典を飾る記念碑的オペラ作品の作曲をショスタコーヴィチに依頼した。まず台本はアレクセイ・トルストイ(世界的大作家自身ではないが、その遠い親戚)とトルストイの仕事仲間であるアレクサンドル・スタルチャコフに任され、彼ら台本作家二人は、「人間と猿を交配してできた猿人間を主人公とし、現代科学と現代文化を高笑いに風刺する突飛なストーリー」をアウトラインとして創作した。
 プロローグのリブレットはショスタコーヴィチに手渡され、《ムツェンスク郡のマクベス夫人》を鋭意制作中であったショスタコーヴィチはヴォーカル・ピアノスコアとして草作を行うが、自身の多忙もあり、また台本の制作が途中で打ち切られたこともあってそのスコアはそのまま放置された。またボリショイ劇場もそのプロジェクトを中断してしまった。
 ショスタコーヴィチが世を去って29年が経過した2004年、作品目録の構成をしていた音楽学者オリガ・ディゴンスカヤはモスクワのグリンカ博物館にて《オランゴ》のピアノスコア全13ページを発見し、そして2006年、ショスタコーヴィチの未亡人イリーナ・アントーノヴナ・ショスタコーヴィチはイギリスの作曲家ジェラード・マクバーニーにこの未完のプロローグの管弦楽編曲を依頼する。5年後の2011年、管弦楽編曲を完了したのちにサロネンによって初演されたものがこの、《オランゴ〜プロローグ》である。

 当時、ショスタコーヴィチは気鋭の作曲家であり、トーン・クラスター的なウルトラ・ポリフォニーを取り入れた交響曲第2番(1927; op.14)に見られるように、西欧現代音楽の成果も消化しながら、アメリカで生まれ世界に影響を与えつつあったジャズ音楽にも親しみ、彼らしい「皮肉な洒脱」とでもいうべき雰囲気をまとった佳曲を量産していた。そんな彼に、突飛で風刺的な台本が与えられるというのはまさに魚心あれば水心というところであった。
 ただ、彼および彼のような新進の芸術家にとっては時勢があまりにも悪かった。この時期はスターリニズムという名の大嵐が吹き荒れはじめる時期にあたり、ショスタコーヴィチ自身、《ムツェンスク郡のマクベス夫人》でいわゆる「プラウダ批判」を浴び(当Webサイト「ショスタコーヴィチ」第三部参照)、またその次の大作交響曲第4番も旗色が悪いことを悟って初演を行わず地下に隠したところからも見られるように、自らのシニシズムとモダニズム、つまり彼の表現力の一部を自ら圧殺せざるを得なかった。
 そして1932年、この《オランゴ》の台本創作が打ち切られたのもやはりそれらと同様、政治的な方針転換による影響であるとも見られている。なお、この台本作家のひとりスタルチャコフは1936年に官憲により逮捕され、翌年銃殺刑に処されている。

■内容

 プロローグ
 ソヴィエト宮殿。十月革命15周年の記念式典が執り行われている。その一角。第1曲 序曲ともいえる管弦楽。ショスタコーヴィチが1931年に完成し、初演後すぐに引っ込めてしまったバレエ音楽《ボルト》の序曲と同じトランペットのファンファーレがまず引用される。 第2曲 バスが「仕事は呪わしいほど酷かった」と歌い始める。内容は、奴隷的労働は撤去され四散して祖国により自由を獲得した、というものである。 第3曲 狂言廻しつまり司会がオランゴを紹介するが、観客は猿なんぞ見たくないのでもっと面白いものを見せろ、奇蹟のひとつでも見せろと不平をいう。司会は我が国つまりソ連の科学的「奇蹟」は山ほどある、として発電所やら教育制度のことを述べる(彼はつまり、党の方針をそのままトレースしている)が、いますぐ「座ったままで見られる奇蹟」として「我が国が誇るスター・バレリーナ」、ナースティア・テルプシホーロワを呼び出す。客から待ってましたの声。 第4曲 ラルゴでナースティアがゆったりと踊る。 第5曲 ナースティアがアップテンポで踊る。 第6曲 観客から面白くないと不満の声。合唱でオランゴを呼ぶコールが聞こえる。 第7曲 オランゴが動物学者とともに出てきて、動物学者はオランゴの説明をする。オランゴには理性のひらめきが認められる、と述べる。 第8曲 動物学者の言葉にしたがって、オランゴがあくびをしたり鼻をかんだり、〈小鳥ちゃん〉(ピアノ曲)を弾いたりする。感心し大喜びする観客。オランゴは突然スザンナを襲い、「あ、赤毛の、い、淫売女!」とめちゃくちゃ言いながら強姦しようとする。観客はスザンナを助けろと怒る。司会者は、野蛮なことはしたくねえ、みたいなことを、言う。続けて司会から提案があり、ナースティアに宥める音楽を踊ってもらおうと発案する。 第9曲 フルートの先導に乗ってナースティアが踊る。最初はゆるやかだが、すぐにちぐはぐなスラップスティックになる。 第10曲 オランゴが「獣の毛皮の中は息苦しい!」と訴える。スザンナは当然怒って帰ろうとする。司会者は、オランゴの経歴――一体何者なのか、そしてどこからきたのか、またなぜ暴れだしたのか――を、予定を変更して聞かせて下さい、と動物学者に言う。 第11曲 発生学者アルマン・フレリとその娘レネが登場、自己紹介をする。またポール・マシュも現れ、ジャーナリスト時代のオランゴについて語ろうとする。司会、観客に対して、主要参加者が集まったことを伝え、「それでは愉快な話を聞かせましょう」と述べる。猿人間オランゴの愉快な話を笑いましょうというわけである。人生を操るという不毛な実験を笑いましょう、と合唱ともども司会が唱和し、ストレッタになってプロローグが終わる。


■付記

 同時期にショスタコーヴィチが作曲したものとかなり近親性をもつ作品。実際、いま聴けるのは30分余りのプロローグのみだが、その短い間にも《南京虫》、《ムツェンスク郡のマクベス夫人》、《ボルト》などのエコーが聞き取れる。もっというと冒頭は《ボルト》と全く同じ響きである。今となれば彼がどのようなつもりであったかわからぬが、当時のショスタコーヴィチは劇音楽やバレエ音楽などを数多く作っており、オペラとしての《オランゴ》をそれら斜に構えた劇伴音楽の集大成にしたかったのかもしれぬ。実際もしこれが1年か2年で完成していれば、作品番号は40番あたりを与えられ、青年期の代表作の一つになったと思われる。

(up: 2015.1.8)
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