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Piano Trio No.2 in e-moll op.67
  ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67

■作曲 1944年夏〜8月13日
■初演 1944.11.9 レニングラード
  作曲者自身(p)、ツィガーノフ(vn)、シリンスキー(vc)による
《楽器編成》
Violin Cello
piano


■概要

 時を、特に辛い時を共に過ごした友人との別れは辛いものである。それが相手の死によるものであればなおさらだろう。
 ショスタコーヴィチには何人かの、よく彼自身を知る理解者が居た。音楽学者で優れた批評家でもあったソレルチンスキー(1902-44)もその一人である。ベラルーシに生まれたソレルチンスキーは演劇・文学・音楽に精通しており、1926年にショスタコーヴィチと交流をはじめて以来、お互いに刺激を与え合った。特に作曲家本人も語っているが、バッハからオッフェンバックに至る音楽史的な知識はソレルチンスキーとの交流によって得るところが大だったようだ。またソレルチンスキーも、卓抜たるショスタコーヴィチの音楽的才能に触発され、個性的な音楽批評をよくするようになる。よく言われるように二人は親友であり、そのモダニスティックな前衛性ゆえに、つねに批評家の槍玉に挙がるショスタコーヴィチを敢然と擁護し続けたのは、他ならぬ彼であった。
 1940年にレニングラード・フィルハーモニーの音楽監督に就任し、44年からはモスクワ音楽院で教鞭をふるう予定だった彼はしかし、1944年2月に42歳の若さで、心臓発作によって急死する。この無二の親友の死に際し、ショスタコーヴィチはかなりこたえたようだ。親友の死の4日後にこの曲の第1楽章を完成したのち、半年ほど作曲を休止している。早書きのショスタコーヴィチにしてはかなりの作曲期間を要し、結局11月に完成した。
 この曲は「ソレルチンスキーの思い出に」捧げられた。

 なお、チャイコフスキーがルビンシテインの死に捧げたピアノ三重奏曲をはじめとして、同ジャンルには追悼の作品が幾つかある。ラフマニノフ(作曲家チャイコフスキーを偲んで)にしても、アレンスキー(チェリストのダヴィドフを偲んで)にしても、シュニトケ(妻イリーナを偲んで)にしても、少なくない作曲家が、大切な人の死に際会してピアノ三重奏曲をものしている。

 同曲は1946年、スターリン賞(第2席)を受けた。

■楽章

 第1楽章 アンダンテ−モデラート。弱音器をつけたチェロが最高弦をハーモニクスで奏する。その挽歌風の旋律は、喪失感を伴ってどこまでも透明である。弱音器つきヴァイオリンがフーガ風に旋律を模倣した後、ピアノが13度下、オクターヴで重なる。ピアノ旋律を五度で重ねるのではなく、ざっくり下にオクターヴを投入するのはショスタコーヴィチらしい。いちおうのソナタ形式を保っているが、曲想は自由な展開をする。
 第2楽章 アレグロ・コン・ブリオ スケルツォ。冒頭舞曲風のヴァイオリン旋律には「pesante(重々しく)」という発想指定がついている。強い1拍頭打ちの旋律で、威嚇的である。
 第3楽章 ラルゴ パッサカリア。ピアノが重い半音階的和音旋律を奏する。その上にヴァイオリンとチェロがlamente(悲哀)な旋律を乗せていく(これはユダヤ的旋律で、ソレルチンスキーがユダヤ人であったが故にここで用いられているという話がある)。ピアノによる半音階的旋律は6回奏され、その上に絶望的な深さを伴った旋律が綿々と乗る。
 第4楽章 アレグレット。ロンド形式のフィナーレ。E音をとりまくように奏されるヴァイオリンのピッツィカートに続いて、のちに弦楽四重奏曲第8番第2楽章で用いられる「ロシアの民族的主題」旋律が、ピアノに出る。冒頭旋律がやや力を得て帰って、第4楽章の楽想を裏返しに辿り戻し、やがて第1楽章の主題がヴァイオリンの高音域に再現され、チェロが、続いてピアノがそれに和する。再び、まるで思い出を振り返るように旋律を辿り戻したのち、第3楽章の半音階的和音旋律が現れ、沈み込むように終わる。

(up: 2008.2.19)
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