やっぱりボロディン四重奏団。分売が見つからなかったので全集。第4楽章のピッツィカートが生命の雫のように鳴る。素晴らしい。




String Quartet No.4 in D-Dur op.83
  弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83

■作曲 1949年
■初演 1953.12.3 モスクワ モスクワ音楽院小ホール
  ベートーヴェン弦楽四重奏団による
《楽器編成》
Violin 2 Viola Cello


■概要

 「大祖国戦争」が戦勝のうちに終わって国内が落ち着きを取り戻すと、体制は当然、その力を再び内部統制に向け始める。
 まずやり玉に上がったのはムラデーリのオペラ《偉大なる友情》。ムラデーリは反発するどころか、攻撃してきた体制に過度に追従し、むしろソビエトの指導的音楽家たちに対する取り調べを強化して、大規模な粛清に発展させるのに有利な情報を、文化政策担当中央委員会書記アンドレイ・ジダーノフに提供してしまった。
 それを受けて1948年1月10日に行われたソヴィエト音楽家会議でジダーノフは、各音楽家に自己批判および他の作曲家に対する反訴を求めた
 いわゆる「ジダーノフ批判」である(当Web「ショスタコーヴィチの生涯」第5部参照)。
 名指しで批判されたのは作曲家ハチャトゥリアン、ミヤスコフスキー、シェバリーン、そしてショスタコーヴィチだが、この批判はそもそもショスタコーヴィチが主な攻撃対象だったのではないかという説もある。
 当然、ショスタコーヴィチは危機感を覚えた。そして当の1948年、自信を持って作曲完成したヴァイオリン協奏曲第1番であったが、身の安全を考え彼は机の引き出しにそれを隠す。さもありなん、これを作曲していた最中の1948年1月、彼の友人でもあった天才的ユダヤ人俳優ソロモン・ミホエルスが殺される。事故をよそおっていたが、あきらかな暗殺である(「ショスタコーヴィチの生涯」第6部参照)。粛清は再び、1930年代の激しさを取り戻しつつあった。

 さてその、再び苦難の道を進みつつあったショスタコーヴィチ。ただ1930年代と異なるのは彼の世界的名声である。この時期彼は、まさしく当代きってのソ連を代表する大作曲家の地位にある。
 ソヴィエト共産党は、1949年にニューヨークで開催される世界平和文化科学会議に送り込むソ連の作曲家について、ショスタコーヴィチに白羽の矢を立てた。ショスタコーヴィチに要請がくるが、彼は当然「やだ」という。しばらく押し問答が繰り返されたが、ついにある日、彼のもとにヨシフ・スターリンから直々に電話がかかってくる。ショスタコーヴィチはしぶしぶ承諾、浮かぬ気持ちでニューヨークに飛んだが、彼にとってはいいことが幾つかあった。
 彼はニューヨークで、ジュリアード弦楽四重奏団が演奏するバルトーク作曲の弦楽四重奏曲を聴いた。そして大いに刺激を受けた。ショスタコーヴィチはこの民俗旋律と卓越した西洋音楽技法が止揚された曲自体にも栄養を受けたのだろうが、それだけではなくジュリアード弦楽四重奏団の演奏にも影響を受けただろう。同じ頃にジュリアード弦楽四重奏団自身が録音した音源も残っているが、作曲当時のバルトークの表現意欲がジュリアードにそのまま乗り移ったような、火の玉のような情念むき出しの演奏で、現在でも名盤の名をほしいままにしている。
 ショスタコーヴィチは帰国後すぐに、この弦楽四重奏曲第4番を書く。

 なお、この要請で起こったショスタコーヴィチにとってのもうひとつのいいこととは、スターリンから会議参加要請の連絡があった際に「だって私の曲なんてソ連では流れてないじゃないか!」と本心をポロリと伝えたことで、「わたしはそんなこと意図してない」というスターリンの返事を得、じっさい1949年からかかっていた彼の作品の演奏禁止令が解けたことである。

 作曲完成時期と初演の時間のズレを見るとわかるように、この弦楽四重奏曲もまたヴァイオリン協奏曲第1番と同様、作ったはいいがやはり机の引き出しにしまわれた作品である。この曲の初演は、結局スターリンが死ぬ1953年を待たなければならなかった。

 内容としては、ミクソリディア旋法を中心として、ユダヤの民俗詩的な旋律が目立つ曲に仕上がっているが、その辺りにもバルトークの(大きな意味での)影響があると見たい。

■楽章

 第1楽章 アレグレット ニ長調 2分の2拍子。小ロンド形式。ニ長調だが中音F♯がナチュラル化してFになっている(ショスタコーヴィチらしい)主旋律が2本のヴァイオリンに出る。チェロはDのドローンを奏する。四重奏となって引きずるように盛り上がり、4分の3拍子で第2主題が出る。ドローンはEに変容する。簡単な経過展開ののち再現部に至り、ドローンはDに戻って楽章を終わる。
 第2楽章 アンダンティーノ ヘ短調 4分の3拍子。3部形式のロマンス。第2ヴァイオリンとビオラがサラバンドのリズムで伴奏をする中、跳躍進行で第1ヴァイオリンが抒情性に溢れる主題を出す。オホーツクのイメージだが、恐らくもっと寒い。ロシア的旋律である。主題は展開され、次第に高潮していく。途中、瞑想的な第1ヴァイオリンのカデンツァが入り、主題を再現したのち粛々と終わる。
 第3楽章 アレグレット ハ短調 4分の4拍子。ロンド形式。弱音器をつけて奏される。他の楽器が切分音を刻むなか、チェロが弾むような第1主題を出す。刻んでいた他の楽器も追従する。やがてト長調に転調して他の楽器が革命歌旋律のような第2主題を出す。イ長調の第3主題は行進曲風である。この主題は第1主題のミクソリディア旋法風の旋法を引き継いでいる。再度第2主題、第1主題と再現され、やがてヴィオラのCの音が残ったまま第4楽章にアタッカで続く。
 第4楽章 アレグレット ニ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。どこまでもユダヤ音楽的な楽章。まず導入は悲しげなヴィオラ独奏。突然の強音ピッツィカートが全楽器で奏され、ユダヤ旋法による第1主題が始まる。ヴィオラはD音のドローンを奏している。ゆるやかな舞曲のようである。やがて斜に構えた嘆きのような第2主題が第1ヴァイオリン、エスプレッシーヴォで出る。第2主題と第1主題はそれぞれ展開され、勢いを強めていく。再度の導入部が粛として再現され、続いて主題を再度再現していく。やがて結尾となり、舞曲リズムの断片を明滅させながら、静かに楽章を終わる。

■付記

 この弦楽四重奏曲第4番から、ショスタコーヴィチの深化が始まる。それは体制の抑圧に対する防遏、そしてそれに対する自己韜晦ともいえるが、いっぽうで壮年期に達し、弦楽四重奏曲の作曲にも通暁しつつあったショスタコーヴィチ自身の内的要求に伴う変化でもあったろう。


(up: 2015.1.23)
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