ロジェストヴェンスキーとソヴィエト文化省交響楽団との演奏。端正さというのは余りないが、まるで草笛のようにビーと鳴る金管を中心としたスラヴ的力強さは随一。シベリアの針葉樹林を彷彿とさせるような、不毛な雄大さがここにはある。《戦争三部作》といわれる交響曲第7番、第8番、第10番は是非ロジェストヴェンスキーで聴きたい。


バーンスタインとシカゴ響の演奏。併録の第9番はともかく、この第7はシカゴ響にぴったりの曲想である。バーンスタインも楽譜を十全に把握した上で、やや外面的ではあるが確かな演奏効果を上げている。なおバーンスタインはニューヨーク・フィルハーモニックと演奏した第7もあるが、さすがにこのシカゴ響との演奏よりは数段劣る。




Symphony No.7 "Leningrad" in C-Dur op.60
  交響曲第7番《レニングラード》 ハ長調 作品60

■作曲 1941年
■初演 1942.3.5 モスクワ クイビシェフ文化宮殿講堂
  サミュエル・サモスード指揮 モスクワ国立大劇場管弦楽団による
《楽器編成》
Pc.2 Fr. 4 Ob. 4 EHr. Cl.4 BCl. Fg. 3 CtFg.
Hr. 8 Tromp. 4 Tromb. 3 Tuba 2 Tim. 2
1st Violin 20 2nd Violin 18 Viola 16 Cello 16 C.bass 14
Symbal Tambouline Tamtam Triangle Xylophone
Glockenspiel Harp 3 Bass drum Side drum Banda


■概要

 交響曲第5番の成功を経て、ショスタコーヴィチが周囲の期待のなか発表したのが特異な構成をもつ交響曲第6番で、その初演は完全に失敗した。これは、新聞報道などもあって「ついに国民的作曲家ショスタコーヴィチが《レーニン交響曲》を書く!」という期待含みのなかであったということも加味する必要があるが、いずれにせよ自他の行動でもって高転びに転んだことは間違いない。
 そして転んだことを自覚したショスタコーヴィチは、再び《レーニン交響曲》の話をちらちらと出して当局に鼻薬を嗅がせる。結局のちに「ジダーノフ批判」によってこの第6番は「形式主義」のレッテルを貼られるわけだが、いっときは当局との緊張状態・危機を脱出したと思われたショスタコーヴィチも、交響曲第6番を世に問うて以降にわかにその周囲は緊張の度を増しつつあった。しかし、再び丁々発止の苦しい状況にはまりこむかと思われた中、その状況を打破したのが、皮肉にもヒトラーとナチス・ドイツであった。
 1941年6月22日、ナチス・ドイツ陸軍機甲師団は突然、ソ連領内への侵入を開始する。世に名高い「バルバロッサ作戦」である。ドイツは電撃的に、総勢300万を超える兵力、16個の装甲師団、10個の自動車化歩兵師団を投入する。ソ連侵攻ドイツ南方軍はソ連軍の意外な抵抗に遭い東進に苦戦するが、ドイツ北方軍の進撃に対するソ連軍の抵抗は散発的で、ドイツ軍は2週間足らずで400km余りも進撃する。そしてショスタコーヴィチの居るレニングラードはフィンランドとの国境沿い、北方軍の進撃範囲である。果たしてドイツ北方軍は驚異的な進撃の結果、9月にはレニングラードを包囲する。
 スターリンは粛清どころではなくなった。しばらく呆然とした後、「大祖国戦争」の号令をかけ、反撃を全国民に呼びかける。当然ソ連の芸術家が形式主義的かそうでないかなどという些事にかかずらう余裕などNEPにも音楽家同盟にもどこにもなく、ショスタコーヴィチはいわば「執行猶予」の状態に置かれた。
 そしてショスタコーヴィチである。他のソ連国民と同じように燃える愛国心をもつ彼は、「大祖国戦争」への参加を強く望み、人民義勇軍への入隊を何度も希望する。誰が考えてもショスタコーヴィチには「他にするべき仕事がある」。何度も断られ、音楽院を火災から守る消防団に配属された(当時の状況および写真は、当Webサイト「ショスタコーヴィチの生涯」第4部参照)。
 ショスタコーヴィチはこの交響曲のスケッチを1941年7月19日に始めている。レニングラード前面にある、ナチス・ドイツにとって最後の障壁であるルガ川を渡岸する前後である。今まさにファシストに包囲されつつあるレニングラードの自宅で、彼は創作を開始した。早い段階での疎開は可能だったようだが、ショスタコーヴィチはレニングラードに残る道を選んだ。爆撃とガラスが割れる音を聞きながら、極限状況のなかで彼は作曲し、そして生まれも育ちもレニングラードである生粋の市民として、そしてソ連の「生き残っている」有名人のひとりとして、ラジオに出演しレニングラード市民に呼びかける。
 私は、今までに一度も生まれた都市を離れたことのない根っからのレニングラード市民として、今この瞬間の緊張のすべてを、とりわけ強く感じています。私の人生と創作のすべてが、この都市と結びついているのです。レニングラードは私の祖国です。私の生まれた街であり、私の家なのです。私と同じ何千という人々も、同じ感情を抱いていることでしょう。生まれた街、愛する大通り、比類の無い美しい広場や建物への無限の愛情を。私の作品は、完成に近づいています。そのときには、私の新作を持ってもう一度出演します。そして、私の創作についての厳しく親身な評価を、興奮しながら待つことでしょう。
 国民的作曲家にして青年期を脱したばかりの若いショスタコーヴィチが、レニングラードに残っていつものような生活を続けている。圧倒的兵力のナチス・ドイツに包囲され続けているレニングラード市民に勇気を与えて余りあったろう。
 混乱と緊張のなか、第3楽章までの創作を終えた頃、党本部からの要請でショスタコーヴィチ一家も遂に疎開せざるを得なくなった。10月始め、まずモスクワへ。そして月末にはヴォルガ沿岸クイビシェフへ。結局その年の12月末、この記念碑的作品《レニングラード》は完成し、レニングラード市民に捧げられた。

■楽章

 第1楽章 アレグレット - モデラート ハ長調 4分の4拍子。ショスタコーヴィチのこれまでにない雄大な主題がまず弦合奏およびファゴットのユニゾンで出る。木管でなぞられた後、ト長調で第1ヴァイオリンに第2主題が平和裡に現れる。まさに平時のレニングラードのような、母親が小さな子供に語りかけるような夢見心地の平穏な曲想である。本来ならば展開部が始まるところで、平穏な曲想は小太鼓の行進にて脅かされる。変ホ長調で「戦争の主題」がまずヴァイオリンのピッツィカートで出る。まるでラヴェルのボレロのようにクレシェンドでどんどん巨大になり、ますます近づいてくる。クライマックスで冒頭の雄大な主題が金管に帰ってきて、勇者の抵抗を示す。極相が静かになり、ファゴットが詠唱めいた悲しげな旋律を奏する。まるで一度ナチスが退いた戦場で、祖国防衛の死者を前に追悼をしているようである。冒頭の主題が、今度は優しく再現する。結尾では、やはり小太鼓が小さく鳴り続ける。戦は終わらない。トランペットは戦争の主題を不気味に、小さく奏する。
 第2楽章 モデラート(ポコ・アレグレット) ロ短調。4分の4拍子。3部形式のスケルツォ。ショスタコーヴィチはこの楽章につき「愉快な出来事や人生の喜ばしいエピソードについての思い出である。悲哀の軽い靄がこの思い出を包んでいる」と述べたといわれる。主題はニ長調で、やや散漫な印象とともにヴァイオリンに出る。弦が変形タランテラのようなリズムを奏でる中、オーボエで長い副主題が出る。中間部は、オスティナート伴奏に嬰ハ短調でクラリネットにて出るが、戦争の匂いがする金管の行進曲風旋律と対立しながら発展していく。再現部は冒頭と相違して悲しげで、少し諧謔的である。
 第3楽章 アダージョ - ラルゴ ニ長調 4分の3拍子。3部形式。祖国愛を示しているともいわれるこの楽章は、大変内省的である。主部はニ長調、木管合奏およびホルンとハープにより雄大なコラールが奏され、ヴァイオリンにスラヴ風の旋律が、やはり力強く出る。副主題はホ長調にて、フルートで民俗的な旋律が素朴に歌われる。中間部はテンポがモデラート・リソルートとなり、嬰ト短調で熱を帯びる旋律がヴァイオリンに出る。金管を加え、スケールを拡大しつつ、のち主部へ復帰し、切れ目なしにフィナーレへ続く。
 第4楽章 アレグロ・ノン・トロッポ - モデラート ハ長調 4分の4拍子。ショスタコーヴィチによれば「来る勝利をあらわす(作曲時点ではまだソ連は戦勝していない)」楽章であるとのこと。まずティンパニのトレモロから曲が始まり、ハ短調で弦に主題が出る。この主題は展開され、別働隊バンダとして補強された金管も合わさって強靭な高揚を見せる。モデラートからはこの曲に出てきた関連動機が登場する。最後は第1楽章の主題が回帰し、ハ長調で激しく曲を終える。

■付記

 第1楽章、ここに登場する「戦争の主題」は何を暗示しているか。一般的にはナチス・ドイツを指しているという見方が有力ではあるが、同時に多くのショスタコーヴィチ評伝で言及されているように、ナチス・ドイツだけではなくスターリン体制含めたファシズムを暗示しているという、関係者の証言をもとにした解釈も有力である。
 ここにおいて重要なのは、この「戦争の主題」が変ホ長調という調性を選ばれているということではないかと思われる。本来、ハ長調から短調に転調する場合、平行調のイ短調を使うことができる。イ短調が明澄にすぎるのならば、同名異調の爆発力があるハ短調に行くこともできる(じっさい次の交響曲、交響曲第8番にてショスタコーヴィチはハ短調で破滅的な哀しみを描いている)。しかしショスタコーヴィチは、主調ハ長調の同名異調ハ短調の平行調である変ホ長調を用いた。
 ではなぜ変ホ長調か。
 わたしは、これは英雄の調性であるからではないかと勘ぐる。つまり、ナチス・ドイツは忌むべき侵略者であると同時に、ドイツが侵略してきたことによって内ゲバと粛清を繰り返していた祖国が「侵略の防遏」という名目でいきなり一丸となった。その意味では侵略者ドイツはある種、救世主なわけである。救世主としての侵略者、この変ホ長調という調性の選択は、そういったショスタコーヴィチの一種の皮肉めいた含意があるのではないかと思われる。そしてそう考えると、やはりこの第1楽章を作曲した時点では、この主題はナチス・ドイツを指していたということでいいのではなかろうか。そうであったればこそ、この主題が変ホ長調であることに強烈な皮肉を感じることもできるといえるだろう。


(up: 2015.1.11)
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