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spatium artis ( 2015.1.17 updated ) | |||
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FRANCISCO de GOYA | ||
■略歴 「苦難は人を成長させる」といわれる。 我々凡人が果たして受苦の時代にどのような防遏と生の輝きを見せることができるかはさておくとして、天はしばしば才能あるものに激しい苦難を与え、それを克服することでその才能に更なる輝きと深化を与えようとすることがある。 そして、ドイツとスペインでそれぞれ国は違うが、同時期に「天才」と呼ばれる人間が、聴覚を失ったことで自分の芸術性をより独特なものとしようとしていた。 ベートーヴェンと、そしてゴヤである。 ゴヤは1792年、46歳の頃に患った大病で、耳疾となり、やがて全聴覚を失ってしまった。偶然ながら、1770年生まれのベートーヴェンもこの頃、自分の聴覚異常を感じ始めていた(一説によると彼が自分の耳の問題に気づいたのが1798年)。 聴覚障害が現前し、双方とも一度は絶望しながら、やがてベートーヴェンは世に冠絶する交響曲《エロイカ》を書いてウィーン古典派の殻を打破し、そしてゴヤは《民衆の気晴らし》を描き上げて内省的沈潜を示し、やがて新古典主義から荒々しく離脱した。 フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは1746年、スペイン東部、アラゴン地方のフェンデトードスに生まれた。父親は金箔師であり、高度な技術を必要とするにもかかわらず報酬がわずかであったため、貧しい家庭であった。のちサラゴサにて修行時代を過ごす。1774年にマドリードに移り住み、鮮やかでロココの影響を受けたと思われる風俗画などを盛んに描く。1780年には王立アカデミー会員となり、王侯貴族の肖像画に名作を残し、そして遂に1789年、宮廷画家に任命されるが、1792年、先に述べたように罹患した重病がもとで聴覚を失う。 聴覚を失ったのちは作風がすぐれて内面化し、《ロス・カプリ―チョス(気まぐれ)》、《戦争の惨禍》など、奇想的な作風、暗鬱な作風が前面に出てくる。1799年には主席宮廷画家になるが、その頃にはスペイン王朝は対外戦争で無力化の一途をたどっており、宮廷からの注文は激減していく。しかしその表現は深化の一途をみせ、ただ自分のために制作した《黒い絵》連作にてそれは最高潮に達した。 |
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■作品 "Patio del hospital psiquiatrico"(1794) 《精神病院の中庭》 "Saturno devorando a un hijo" (1819-23) 《我が子を食らうサトゥルヌス》 |
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