第4番というとまずはこの盤に指を屈することになるだろう。快演というに相応しい。いきいきした快速テンポ、時折見せる柔らかなニュアンス。但し、オケがついていってない部分があり、演奏だけでみると、アムステルダム・コンセルトヘボウを振ったDVD(ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 作品92 [DVD] )の方がより完成度が高い。



私は朝比奈のベートーヴェンを全て評価するものではない。なんたって重すぎる。但し、このNHK交響楽団と行ったライヴの4番は凄い。確か同日に第5を演奏したはずだが、第5と同じテンションで、一音たりともゆるがせに《させない》という朝比奈の気迫が感じられる。ホルン隊も調子がよく、やはり「日本一のオケ」(朝比奈)だという印象を強くする。ただ、ライヴなので客席ノイズが特に第1楽章で気になる。実に惜しい。
 ▽ Ludwig van Beethoven
Symphony No.4 in B-Dur op.60
  交響曲第4番 変ロ長調 作品60



■作曲 1806年
■初演 1807.3 ロブコヴィッツ侯爵私邸
      ベートーヴェン指揮による
■献呈 オッペルスドルフ伯爵



交響曲第4番第1楽章(ほぼ全曲)

C.Kleiber / Amsterdam Concertgebouw
YouTubeに何と第4番が全曲ある(2014.12.30 現在)。クライバーノリがどのように作られるか、同曲裏リズムの煽りにその片鱗を見る。DVD併録第7番よりもしなやかで、ACOらしい音も(ファゴット筆頭に)より表出している。一度耳にすると依存性が極めて高い。

《楽器編成》
Fr. 1 Ob. 2 Cl. 2, Fg. 2
Hr. 2 Tromp. 2 Tim. 2
1st Violin 2nd Violin Viola Cello C.bass


■概要

 禍福はあざなえる縄のごとし、という。

 運命の苛烈さに正面から挑み、ハイリゲンシュタットの遺書、第3交響曲「英雄」を経て、そしてそれを乗り越えることができたベートーヴェンは、1804年つまり第3交響曲が出来てすぐのころから、第5交響曲(日本では「運命」交響曲と呼称されるが、これは世界的な綽名ではない)の作曲に着手した。
 この頃ベートーヴェンは、さかんに作曲を行っており、しかもその多くが、あるいは晩年の名曲群とは違う毛色をもった名曲であり、数多くのファンをもつものである。この頃完成したものとしてはたとえば、弦楽四重奏曲の名曲《ラズモフスキー弦楽四重奏曲集》(全3曲)があり、ピアノ協奏曲第4番があり、ヴァイオリン協奏曲があり、オペラ《フィデリオ》がある。どの曲も、超有名曲のような派手さはないが、滋味溢れる、聴き込むほどに味わい深い名曲である。そしてその「滋味溢れる名曲群」の中に、この交響曲第4番も当然含まれる。

 耳疾に苦しみ、失恋に思い煩い、遺書を経て、第3交響曲にて「英雄」のひとつの型formを呈示したベートーヴェン、続いて書き始めた交響曲(先に述べたように、この交響曲はのちに第5番となるものである)において運命との死闘を描こうとしたが、禍福はあざなえる縄のごとし。ベートーヴェンにとって幸せな時期がやってくる。そして幸せな時期には、いかなベートーヴェンといえども、激烈で悲劇的な曲を描くには至らないようである。
 ヨゼフィーネ・フォン・ダイム伯爵未亡人。
 そもそもが未婚時代の彼女はボンにおける、ベートーヴェンのピアノの弟子であった。1799年にダイム伯爵に見初められた彼女は周囲の勧めもあって伯爵と結婚するに至るが、彼女は、意に添わぬ20歳以上も年上の伯爵との結婚に、さしたる幸せを感じていなかったようである。理由のひとつは伯爵が芸術全般に理解の乏しい人間であったというところにあるようだが、そもそも伯爵とヨゼフィーネは27も歳が離れており、しかも伯爵家は経済的に斜陽にさしかかっており、精神的なすれ違いも発生してしかるべきであった。そして伯爵は、1804年にプラハにて急死してしまう。
 1804年から1806年にかけて、彼女ヨゼフィーネとベートーヴェンの間に、強い愛情が芽生えていたことが、遺されたベートーヴェンの手紙にて確認されている。この幸せな時期にベートーヴェンは、重厚で意志的な第5交響曲の作曲を一旦中断し、のちに第4交響曲となる作品の作曲に勤しんだ。そしてその年のうちに完成をみた。直情径行ベートーヴェンの面目躍如というべきであろう。太陽がいっぱいにあたるような、この交響曲の明らかさは、作曲された当時の心情を物語っている。

 尤も時に、大交響曲「英雄」と「第5番」に挟まれているこの交響曲が「巨人の間に挟まれた乙女」と呼ばれることがあるが、それは印象論的なmisdirectionというべきである。演奏の仕方によっては明るいが非常に重厚な、やはりベートーヴェンらしい交響曲として聴くことができる。乙女だとすると、表面は美しいが恐るべき強力(ごうりき)持てる乙女であることは疑いない。

■内容

 第1楽章 アダージョ 2分の2拍子 - アレグロ・ヴィヴァーチェ 変ロ長調 2分の2拍子。 第2交響曲と同様、アダージョの序奏をもっている。この序奏は常に変転しつつ奏され、のちに現れる第2主題の雰囲気も醸しながら、転調を伴ってあくまでも幻想的である。序奏部の最後に現れる活発な上昇音型の勢いそのままに、第1主題が登場する。但しソナタ形式の厳格はここにはなく、流れるように楽想がつぎつぎと展開する。いわば「第1主題群」とでも呼びたくなるような構成である。木管のシンコペーションで第2主題が登場したことが明らかになる。ここに現れる、ファゴットで先導されるスタッカート気味の主題は印象深い。展開部のギアチェンジも、ソナタ形式を思わせるほど激しいものではなく、主題群がつぎつぎと展開せしめられる。終結部は第1主題を中心に組み立てられ、華やかに終わる。

 第2楽章 アダージョ 変ホ長調 4分の3拍子。 華麗ではないが、静かな美しさが心に迫る楽章。第1主題はcantabile(歌うように)指定のついたヴァイオリンにて出る。変ホ長調の鮮やかな明るさは、この楽想の柔らかな流れを照らし、夕暮れでも暗く湿っぽいものではなくて、あくまでも照度の高いそれである。明日の明るさを含む夕暮れである。続いて第2主題は、憧憬をこめてクラリネットに出る。この楽章は、ベートーヴェンの緩徐楽章のなかでも、曲全体の比率を考えると最も長いものである。

 第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ 変ロ長調 4分の3拍子。 明記されてはいないが、明らかにスケルツォ。跳躍音型でヴァイオリンが主題を出す。リズムが裏から現れる、ユーモアに溢れた主題である。牧歌風のトリオ(中間部)は木管に現れる。振り返るような、かくれんぼうをするようなトリオである。主題とトリオはもう1度繰り返され、主題部に帰って、ホルン中心に主題を押し込めるようにして終わる。A-B-A-B-Aの形式をとる。

 第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ 変ロ長調 4分の2拍子 ソナタ形式。 動き回るような、無窮動的な主題が、まずヴァイオリンに出る。絶えずはね回るような、活発な楽想である。盛り上がったのち、すぐにオーボエに、鳥の声のような第2主題が現れる。それは支えられてゆき、第1主題的な楽想に埋没してゆく。展開部は第1主題の心の動きを抑えつけたような、しかし抑えつけかねるような流れで、転調しながら第1主題を追ってゆく。再び第1主題が現れると、第2主題とを明示する再現部となったことが知れる。低弦に支えられてヴァイオリンが第1主題の断片を出す終結部は、フェルマータによるブレーキと、主題の上昇する音型とが拮抗している。低弦がユーモラスに急速下降すると、全合奏で和音が叩き込まれ、曲を終える。

■付記

 「偶数曲」として軽く流すと軽快に、しかし「ベートーヴェンの交響曲」として重厚に鳴らすと非常に充実した、響きが得られる。第2番とか、あるいはこの一気呵成に仕上げた第4番などは、いわば「モーツァルト的な」作品であり、ベートーヴェンのメロディ・メーカー的な部分が十全に出ていて非常に面白いと思う。有り体にいえば、非常に好きである。


(up: 2009.6.4)
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