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ボロディン四重奏団。もうボロディンイチオシである。分売が見つからなかったので作品集。2,3,7,8,12 番が入っている。 |
String Quartet No.2 in A-Dur op.68 弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68 ■作曲 1944年 ■初演 1944.11.10 レニングラード フィルハーモニー大ホール ベートーヴェン弦楽四重奏団による |
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《楽器編成》
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■概要 第1番はソナチネ風の楽章を積み重ねて、気を吐いたというよりは楽想の導くがままに作曲できてひと息ついたといえるショスタコーヴィチだが、第2番になると規模も拡大し、「小さな交響曲」に接近している。 作曲当時は第2次世界大戦のまっただ中ではあるが、「大祖国戦争」にてソ連はドイツの機甲師団を西へ押し返しつつあり、ショスタコーヴィチもまた、交響曲第7作曲当時のような、爆撃とガラスが割れる音のなかの作曲という極限状況ではなくなっていた。この曲もイヴァーノヴォの別荘にて、ビリヤードやサッカーに興じつつ創作されている。 ただ、この年の始め、2月に、彼は友人で、よき理解者である音楽学者のソレルチンスキーを亡くしている。ソレルチンスキーの思い出にはピアノ三重奏曲第2番を捧げた彼であったが、室内楽への創作意欲は留まることがなく、先のピアノトリオを8月13日に脱稿したのち、続けてこの曲に着手し、9月20日に総譜を完成させている。速書きのショスタコーヴィチとはいえ、物凄いスピードである。 なお、この曲はそれぞれの楽章に短い題名がつけられている。 この曲も、彼の室内楽曲がそうであるように、やはり友人に捧げられている。この第2番はモスクワ音楽院教授のヴィッサリオン・シェバリーン (1902-1963) に捧げられた。 ■楽章 第1楽章 《序曲》 モデラート・コン・モート イ長調 4分の3拍子。ケルトの民俗舞曲のような快活な第1主題が出る。やがてフリギア旋法、符点つきのリズムをもつ悲劇的な第2主題。弦楽四重奏曲第1番と相違して、展開部は雄大なものになっている。 第2楽章 《レチタティーヴォとロマンス》 アダージョ 変ロ長調 4分の3拍子。自由な3部形式。まずレチタティーヴォ。第1ヴァイオリンが変ロ長調で思いの丈を語る。喪失感の独白である。第2部ロマンスはゆるやかなワルツ風。叙情的な旋律だが次第に高揚する。 第3楽章 《ワルツ》 アレグロ 変ホ短調 4分の3拍子。ロンド・ソナタ形式。全楽器弱音器装着での演奏。マーラーの交響曲第9のブルレスケのようだ。主旋律は上行音階でチェロに出る。なだめるような副旋律が第1ヴァイオリンに出るが、半音階的に展開が始まり、やがて主題は分断されて静かに終わる。 第4楽章 《主題と変奏》 アダージョ-モデラート・コン・モート-アレグロ・ノン・トロッポ-アダージョ イ短調 4分の4拍子。パッサカリアである。荘重な序奏から始まるが、前楽章断片の再構成である。モデラート・コン・モートに入り、ヴィオラにて民俗音楽的な詠唱的主題が出る。変奏が始まるが、3部構成+結尾部によっている。第1部はそれぞれの楽器による旋律の受け渡しであり、まるで思い出話のようである(3回の変奏;1〜3変奏)。続いて第2部は展開部に近い。思い出が走馬灯のように拡がる(第4〜第18変奏)。第3部は再現部に近づく。主題に加え、序奏部も再現される(第19〜22変奏)。結尾部は全楽器によるパッサカリア主題の強奏。決然と終結する。 ■付記 やはりソレルチンスキーが亡くなった影響はこの曲にも出ているのではないかと思う。第2楽章は友に捧げるショスタコーヴィチの独白のようだし、また第4楽章はまるで「音楽の写真アルバム」を見て友人の霊と思い出話に興じているような雰囲気である。 (up: 2015.1.11) |
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