ボロディン四重奏団。全集。特にショスタコーヴィチの快活さが出ている第1番のような曲は、アンサンブルの強靭さで輝きが倍加する。分売が見つからなかったので全集をひっぱった。




String Quartet No.1 in C-Dur op.49
  弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49

■作曲 1938年5-7月
■初演 1938.10.10 レニングラード
  グラズノフ弦楽四重奏団による
《楽器編成》
Violin 2 Viola Cello


■概要

 一般的には、指揮者のチェリビダッケもいうように、「交響曲の小規模なのが弦楽四重奏曲、弦楽四重奏曲の大規模なものが交響曲」ということになっており、ウィーン古典派のモーツァルトやベートーヴェンをはじめ、ロマン派くらいまでは作曲家にとって重要なジャンルのひとつであった。
 後期ロマン派に至って弦楽四重奏曲は彼らの志向する響きに比して規模が小さすぎることもあり、また「弦楽四重奏=交響楽」に代表されるドイツ・ロマンティッシュとは別の方向からの楽想を展開する楽派もあり、あまり弦楽四重奏曲は書かれなくなった。げんにブルックナーもマーラーも(前者的志向として)あるいはドビュッシーもラヴェルも(後者的楽派として)ほとんど弦楽四重奏曲を書いていない。
 じっさい、ショスタコーヴィチに関しても、特に作曲活動初期から意識していたジャンルだとは思われない。この弦楽四重奏曲第1番が作曲されはじめたのは1938年。つまり、交響曲第5にて大きな支持を受けたのちの作曲である。更にいえば、この曲を作り始めた時のショスタコーヴィチは、《ムツェンスク郡のマクベス夫人》で起きた「プラウダ批判」、そして第4番の初演キャンセル、当局に抑圧されたことによる収入の激減、親族と知り合いが次々に逮捕され殺害されていく1937年の嵐のような大粛清、そしてそのテンペストに対抗するための乾坤一擲第5番の作曲と完成、それらに翻弄されて疲労困憊の極みにあった。クシシュトフ・メイエルによると、ショスタコーヴィチはこのジャンルに初めて手を付けた時、必ず完成させようとかこのような楽想でいこうなどという着想は特になかったらしい。しかし「弦楽四重奏の作曲がわたしを夢中にさせ、おどろくほど早いテンポで書き上げてしまった」。

 この後、この弦楽四重奏というジャンルは、ブラームスにとっての歌曲のように、ショスタコーヴィチの内面の告白には欠かせないものとなった。鬱勃とした中、「遺書の代わりとして」作曲した弦楽四重奏曲第8番、あるいはこの世への詠嘆を素直に吐露したような15番など、その典型である。

■楽章

 第1楽章 モデラート ハ長調 4分の3拍子。第1主題はサラバンド風に出るが、冒頭はベートーヴェンの弦楽四重奏曲《ラズモフスキー》第3番作品59に相似ている。第1転回型Xでいきなり中音Bがフラットするところあたりはさすがはショスタコーヴィチといったところである。のどかだが寒いロシアの春を彷彿とさせる。機嫌のいい死神のリズムのような低音に乗せて歌われる第2主題はワルツのようでもあり、あるいはもっと憂いを秘めたマズルカのようでもある。主題でいえば、1-2-展開-2-1-2' となっている。第2主題の断片、鳥の鳴き声のような高音のヴァイオリンで静かに終わる。
 第2楽章 モデラート イ短調 4分の4拍子。変奏曲形式。主題は革命歌のような民俗曲のような息の長い、ショスタコーヴィチらしい旋律である。優しいが寂しさも溢れる、実に味わいがある、広大な大地に根ざした旋律だ。装飾的な3連符がつく第4変奏からはイ長調となるが、再現部はイ短調に復調してピッツィカートとともに消えるように終わる。
 第3楽章 アレグロ・モルト 嬰ハ短調 4分の3拍子。スケルツォ。全楽器弱音器装着にての演奏。アレグロの弱音器とは覆面をかぶった革命家のようだ。トリオでは同主調嬰ハ長調に転調、ワルツのリズムに乗せて第1楽章の断片が現れる。
 第4楽章 アレグロ ハ長調 2分の2拍子。バウンスしやすい2拍子であることもあり、またハ長調であることもあり、たいへん軽快な楽章。恐らくショスタコーヴィチが大好きなサッカーのことを考えている時はこんな気持ちなのだろう。第2主題はチェロの高音部で奏されることもあり、どうも楽しいことをやって息切れしているかのようだ。再現部から結尾に至る快活さは次の交響曲第6番のプレスト楽章を彷彿とさせるが、6番のプレストほど不健康ではない。きっちりと華やかに楽章を終える。

(up: 2015.1.11)
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